風のように! |
不安や怖れは作らない。と
これまで頭の中では、こうした不安や恐れが
自分の内的世界での習慣性になった脳の反応だと
解っていましたが、
どうしても体が反応してしまいました。
朝起きると体に不安が襲ってきます。
自分の未来が不安でたまりませんでした。
又、自分以外の人間が怖くて、たまりませんでした。
人間が怖いというのは、
幼い頃に、父親が何かのことで機嫌を損ねたときに、
今までの穏やかな顔が豹変し、
私にとっては何がなんだか訳もわからずに、
恐ろしいことが(折檻)が始まる。
そういった体験が強烈な人間観として、
私の脳裏から拭い去れないことによるものだと思います。
又過度の過保護から来る、
自分の力で生きる、という実感が乏しく、
どうしても自分に自信がもてないのです。
こんなことがベースにあった五十八年間でした。
もうすぐ五十九になりますが・・・。
そのことがあの3月17日の最後の船出のブログの背景としてありました。
どうにかこうにか今日まで生きてきたのですが、
何度も何度も自分の内的世界を検証しては、
自分を変えたり、開拓したりしてきました。
そしてやっと今のように、
あるがままの、
自分の現実を受け入れて生きるというところまできました。
そしてその次に、
最後のステージとして、
自分の不安、恐れ、怯え、猜疑心、懐疑心など
あえてぞっとするようなコイツラを受け入れ、
抱きしめることにしました。
もう私はコイツラに苦しめられないゾと・・・。
コイツラこそ生命えねるぎーにブレーキをかける
張本人ですから。
できるなら私は、
カラカラになり中が空洞化した枯れ木のようになって、
生命エネルギーのみが淡々と流れるようになりたいなアーと
思っていまいますが、
どうなりますか、
いまだ煩悩が纏い付いてきますから・・・!
それもそれで受け入れて、
ノホホン、のほほんと行きますかネエ。
まあ、自分の全ては自分の全てに原因があること、
仏教で言えば因果応報。
そんなことを承知の上で、
風のように生きれたらなあーと思っています。