時が熟するとき! |
マイスターホラさんの言葉、
「言葉は熟するまで出してはいけない」
ということを紹介した。
この言葉は三十代のわたしの指標となりました。
今日は同様に「時が熟する」ということについて
書いてみたい。
このところ私の中立ち起こる、不安や恐怖、
猜疑心や懐疑心について
それらの一切が
私たちの外側から襲ってくるものではなく、
私たちの内面から、
私たち自身が、
立ち起こらせている、或いは、
作っている心理だと言うことを述べたきた。
それは生命を保全するために、
私たちの心が体験した強烈な恐怖や不安と
擬似的な状況をイメージさせるために、
つまり危機を知らせるために必要な機能でもある。
しかし、それは時として両刃の刃となり、
私たちの行動に内部からブレーキをかけたり、
不必要な取り越し苦労をさせるものでもある。
又それに取り込まれすぎて、疑心や猜疑心がつのり、
自我が追い詰められてしまうこともある。
それがゆきすぎて自分の周辺や未来に、
バーチャルな砦を築き、
身動きできない人間もごまんといる。
いささか大げさに言えば、
私の人生もこれとの格闘であったとも思う。
事を成そうとするときに、
すぐ失敗を予想したり
自分が傷つくことに怯えたり、
そんなことに足をつかまれて、
自分の能力が発揮できないことが
しばしばあった。というより、
日常茶飯であったかもしれない!
今思うと本当にもったいないことをしたと思う。
これからの人生には、
お前らを絶対立ち入らせないぞー。
と私は決心した。
これまで
これらのことが
自分の内面から来る、
或いは自分の思い込みから来るということを
実感できなかったし、
どうしても受け入れられなかっいた。
逆に
他人や社会または自分以外のところから、
じぶんが被害にあっているというような
受身のスタンスを捨てることが出来なかったのだと思う。
言っておきますが、
被害者になる、或いは
悲劇のヒロイン、ヒーローになるというのは
蜜の味、
倒錯したエクスタシーです。
甘ったれた受身の人生を捨てて、
全ては自分が主役の人生であり、
全ての全責任は私にあります。
やっと私自身の時が、
熟してきたのだと思う。
昨日スキージャンプの原田選手が引退を表明したが、
彼があの驚異のジャンプを成し遂げた時も
時が熟したときだったのだと思う。
自分の中のさまざまな雑念を捨て、
心を統一して、
ただひたすらに立ち向かう。
ただひたすらに飛ぶ!
おとといのWBCの日本選手もソウだったと思う。
不安や恐怖を乗り越えたとき
人間はエライ力を発揮する。
神風が吹くんやー!
しかしそこにまで行き着くには色々と苦しむんやねー。
今私の親友Nさんに
降って湧いたような困難なことが立ち起こった。
しかし懸命なNさん、
これまで、学んだことや体験したことの総力を奮って、
ひるまずに、勇気をもって、
この困難に立ち向かってほしいと思います。
貴女がこの困難を越えていったとき
神の風がきっと吹くと私は確信している。
貴女の時が熟してきたのだと私は
確信しています。
Nさん!
最後に万葉の美しい歌人
額田王の和歌をあなたに捧げます。
「熱田津(にぎたず)に船乗りせむと月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな!」
さあ漕ぎ出でましょう。
私たちも一緒にネッ!