2006年 04月 08日
21世紀の端緒!web進化論(神の視点からの世界理解)遠謀3 |
どうしたら自分の心が解けていき、
自己実現が可能になるか?
自分をオープンにすることがなぜ
自分の才能を開花させるのか?
それはコンピューターがなぜ高い能力を持つかを見れば
一目瞭然です。
コンピューターには自我や、
そこから波及する感情がないからです。
コンピューターは純粋情報と、純粋解析力しかなく、
余計な思惑や、感情移入がない。
ところが人間が介在すると如何してもそこにそれら
余計なものが入り込みます。それらが、
情報や結果に余計なものを付着させる、!
その余計なものとは、不安や、欲です。
ということは、
逆に不安や欲をできる限り克服すると、
人間の脳もかなり性能がアップします。
もちろん個人の条件をベースにですが。
自分の能力や自己実現を押さえ込んでいるのは、自分自身です。
自分自身の心を硬くさせているもの、
自分自身にブレーキをかけているものについて
考えてみましょう。
なぜ自分が解けないのか、
じゃあどうしたら自分が解けていくのか!
それはあなたがとても傷ついているからです。
私がこういうと、
いいえ私は傷ついてなんかいません、
と言う人もいます。
自分が傷ついているなんて!
と思いもよらない人もいるでしょう。また
うすうす気がついていても如何してもそのことを認めたくない。
認めたら自分が敗北したようで、惨めになる。
どうぞそんな人はそんな風に生きてください。
しかし、自分が本当に大切だと思う人。
自分の生きることを大切にしたいと思う人は、
どんなに自分が傷ついているかに
気づいてください。
そして自分だけしか、
本当の自分の理解者になれない。、つまり
他人は自分の理解者には絶対ならないのです。
自分だけがよーく自分を見ることができ、自分だけが
自分をいつくしみ、抱きしめることが出来る。
他人からそれをしてもらうことはありえない。
恋愛幻想で一時的にあったとしても、
それは長くは続かない。
自分がどんなに辛かったか、
自分がどんなに悲しかったか
自分がどんなにがまんをしてきたか
よーく自分のことを
自分の気持ちを受け容れてあげることです。
まず自分、
他人のことなんかしったこっちゃナイ。
これでもか、これでもかと自分をいたわる。
何度も何度も自分を抱きしめて慰めてください。
生まれたての人間はみんな天使!
でも生きるということは、
きずつけられ、泥にまみれ、
プライドをへし折られ、
独りぼっちになり、
そういう悲しい事だらけなんです。
生きることは、自分の自我が汚れていくことでもあるんです。
人間の心は透かして見れないから、
如何しても自分だけが不幸のような気がして、
自分だけが被害者のような気がする。
でもね。
この世の中で傷ついていない人間なんて
一人もいません。
みんな傷だらけ!
中にはぼろぼろのくせに
まだ体裁を取り繕っている人なんか五万といます。
誰でもいいから写真の顔を見てください。
鏡に写る自分の顔でもいいですよ。
人間の顔をよーく見てください。
目の片目を手で覆ってかくして、
一つの目だけを見てください。
右の目だけ、
ひだり目だけをね。
その目はどんな表情をしていますか。
笑っている目は本当に笑っていますか。
ほとんどの目は右か左がとても悲しい目をしていませんか。
人間が生きるということは、
そんな苦労をせおって生きているんです。
まず自分からねぎらいましょう。
こういってもそれがすぐ出来るわけではありません。
あなたの体には、多くの不安や恐れをキャッチした神経が、
瞬間的にそれに対処できるように、
ホルモンを放出する回路が出来ていますから、
頭でわかっていても、体が反応します。
或いは物事を感じにくくするように、
からだを鈍くさせているかもしれません。
でも、
少しずつ、小石を拾うように、
自分の心に言い聞かせるのです。
私のなかにある、人間不信や、恐れ、
怯えや不安は、わたしが欲したものではない。
私に植えつけられた、思い込みである。
私はどんな不安や恐れなんかにまどわされず、
自分の中にある、能力、力を発揮して生きる。
私自身59歳になってもまだ、この小石たちに
脅かされます。
それほど、ぬぐってもぬぐって小石は出てきます。
時間がかかります。
何年もかかるかも知ません、それでも
小石をとり除くごとに、あなたは前へ進み、
じぶんのブレーキをはずすことが出来るのです。
少しずつ開放され、
自分の内面を開きながら、
自分を信頼し、自分だけを頼りに行動したり、
決断する体験が増えれば増えるほど、
自信に満ちてくるでしょう。
何回も言います。
すべての人間が傷ついています。あなただけではありません。
あなたがその事を承知していること。
そして、自分が傷つくことにばかり惑わされずに、
他者への深い共感と、
一緒の時代を生きる同士として、
自分の心を開いてゆくこと。
そこから始まる、他者と一緒に生きるプログラムこそ、
web革命の大きな命題であり、進化のための鍵だと考えます。
「すべてのソースをオープン」にし、
情報を共有し、それぞれが個々の必要性に応じて、
その情報発電所を利用する。
個々の個性が、
けちな根性で自分の情報を囲い込み、
心身ともにしのぎを削って、
けちなビジネスをする時代はもうすぐ終わりです。
これからの時代は、
人間の信頼回復と、無償行為の上に、豊かな豊かな時代を築くことが、
もしかしたら、人間に課された神からの大いなる命題かもしれません。
昨日、
私にとって素晴らしい事がありました。
それは1700年前のユダの福音書が見つかったとの事でした。
それには、これまで裏切り者の刻印を押されていたイスカオリテのユダが、
じつはイエスの一番の弟子として、
イエスから頼まれて彼を密告したと書いてあったそうです。
私にとって、もしイエスが神ならば、
ユダなくしてはイエスのドラマは成立しないと考えていました。
イエスが光であれば影としてのユダはもう一人のイエスであり、
二人が表裏一体の存在としてはじめて神が完結し、
世界が成就すると考えていました。
イエスが十字架につるされたあと、
イスカオリテのユダは裏切り者の汚名を着せられたまま、
木に首をくくって自殺します。
私たち人間はどんな人間も心の中に苦い暗闇を持っています。
イエスはまず自分の内面の塵をとり、そして兄弟と和解することを
私たちに教えようとしました。
私は軽薄な博愛主義者じゃあありませんが、
すくなくとも、イエスとユダが命がけで教えようとした、
人間に対する信頼を信じたいと思っています。
20世紀、イデオロギーの時代が終わり、21世紀は
何が始まるのか、
少しはその端緒が見えた気がします。
自己実現が可能になるか?
自分をオープンにすることがなぜ
自分の才能を開花させるのか?
それはコンピューターがなぜ高い能力を持つかを見れば
一目瞭然です。
コンピューターには自我や、
そこから波及する感情がないからです。
コンピューターは純粋情報と、純粋解析力しかなく、
余計な思惑や、感情移入がない。
ところが人間が介在すると如何してもそこにそれら
余計なものが入り込みます。それらが、
情報や結果に余計なものを付着させる、!
その余計なものとは、不安や、欲です。
ということは、
逆に不安や欲をできる限り克服すると、
人間の脳もかなり性能がアップします。
もちろん個人の条件をベースにですが。
自分の能力や自己実現を押さえ込んでいるのは、自分自身です。
自分自身の心を硬くさせているもの、
自分自身にブレーキをかけているものについて
考えてみましょう。
なぜ自分が解けないのか、
じゃあどうしたら自分が解けていくのか!
それはあなたがとても傷ついているからです。
私がこういうと、
いいえ私は傷ついてなんかいません、
と言う人もいます。
自分が傷ついているなんて!
と思いもよらない人もいるでしょう。また
うすうす気がついていても如何してもそのことを認めたくない。
認めたら自分が敗北したようで、惨めになる。
どうぞそんな人はそんな風に生きてください。
しかし、自分が本当に大切だと思う人。
自分の生きることを大切にしたいと思う人は、
どんなに自分が傷ついているかに
気づいてください。
そして自分だけしか、
本当の自分の理解者になれない。、つまり
他人は自分の理解者には絶対ならないのです。
自分だけがよーく自分を見ることができ、自分だけが
自分をいつくしみ、抱きしめることが出来る。
他人からそれをしてもらうことはありえない。
恋愛幻想で一時的にあったとしても、
それは長くは続かない。
自分がどんなに辛かったか、
自分がどんなに悲しかったか
自分がどんなにがまんをしてきたか
よーく自分のことを
自分の気持ちを受け容れてあげることです。
まず自分、
他人のことなんかしったこっちゃナイ。
これでもか、これでもかと自分をいたわる。
何度も何度も自分を抱きしめて慰めてください。
生まれたての人間はみんな天使!
でも生きるということは、
きずつけられ、泥にまみれ、
プライドをへし折られ、
独りぼっちになり、
そういう悲しい事だらけなんです。
生きることは、自分の自我が汚れていくことでもあるんです。
人間の心は透かして見れないから、
如何しても自分だけが不幸のような気がして、
自分だけが被害者のような気がする。
でもね。
この世の中で傷ついていない人間なんて
一人もいません。
みんな傷だらけ!
中にはぼろぼろのくせに
まだ体裁を取り繕っている人なんか五万といます。
誰でもいいから写真の顔を見てください。
鏡に写る自分の顔でもいいですよ。
人間の顔をよーく見てください。
目の片目を手で覆ってかくして、
一つの目だけを見てください。
右の目だけ、
ひだり目だけをね。
その目はどんな表情をしていますか。
笑っている目は本当に笑っていますか。
ほとんどの目は右か左がとても悲しい目をしていませんか。
人間が生きるということは、
そんな苦労をせおって生きているんです。
まず自分からねぎらいましょう。
こういってもそれがすぐ出来るわけではありません。
あなたの体には、多くの不安や恐れをキャッチした神経が、
瞬間的にそれに対処できるように、
ホルモンを放出する回路が出来ていますから、
頭でわかっていても、体が反応します。
或いは物事を感じにくくするように、
からだを鈍くさせているかもしれません。
でも、
少しずつ、小石を拾うように、
自分の心に言い聞かせるのです。
私のなかにある、人間不信や、恐れ、
怯えや不安は、わたしが欲したものではない。
私に植えつけられた、思い込みである。
私はどんな不安や恐れなんかにまどわされず、
自分の中にある、能力、力を発揮して生きる。
私自身59歳になってもまだ、この小石たちに
脅かされます。
それほど、ぬぐってもぬぐって小石は出てきます。
時間がかかります。
何年もかかるかも知ません、それでも
小石をとり除くごとに、あなたは前へ進み、
じぶんのブレーキをはずすことが出来るのです。
少しずつ開放され、
自分の内面を開きながら、
自分を信頼し、自分だけを頼りに行動したり、
決断する体験が増えれば増えるほど、
自信に満ちてくるでしょう。
何回も言います。
すべての人間が傷ついています。あなただけではありません。
あなたがその事を承知していること。
そして、自分が傷つくことにばかり惑わされずに、
他者への深い共感と、
一緒の時代を生きる同士として、
自分の心を開いてゆくこと。
そこから始まる、他者と一緒に生きるプログラムこそ、
web革命の大きな命題であり、進化のための鍵だと考えます。
「すべてのソースをオープン」にし、
情報を共有し、それぞれが個々の必要性に応じて、
その情報発電所を利用する。
個々の個性が、
けちな根性で自分の情報を囲い込み、
心身ともにしのぎを削って、
けちなビジネスをする時代はもうすぐ終わりです。
これからの時代は、
人間の信頼回復と、無償行為の上に、豊かな豊かな時代を築くことが、
もしかしたら、人間に課された神からの大いなる命題かもしれません。
昨日、
私にとって素晴らしい事がありました。
それは1700年前のユダの福音書が見つかったとの事でした。
それには、これまで裏切り者の刻印を押されていたイスカオリテのユダが、
じつはイエスの一番の弟子として、
イエスから頼まれて彼を密告したと書いてあったそうです。
私にとって、もしイエスが神ならば、
ユダなくしてはイエスのドラマは成立しないと考えていました。
イエスが光であれば影としてのユダはもう一人のイエスであり、
二人が表裏一体の存在としてはじめて神が完結し、
世界が成就すると考えていました。
イエスが十字架につるされたあと、
イスカオリテのユダは裏切り者の汚名を着せられたまま、
木に首をくくって自殺します。
私たち人間はどんな人間も心の中に苦い暗闇を持っています。
イエスはまず自分の内面の塵をとり、そして兄弟と和解することを
私たちに教えようとしました。
私は軽薄な博愛主義者じゃあありませんが、
すくなくとも、イエスとユダが命がけで教えようとした、
人間に対する信頼を信じたいと思っています。
20世紀、イデオロギーの時代が終わり、21世紀は
何が始まるのか、
少しはその端緒が見えた気がします。
by denshinbashira
| 2006-04-08 13:06
| 創造性の根源にあるもの・ウエブ戦国時代
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