夕焼けうつくしく! |
「うちなるこども」という企画の美術展が開かれます。
私の所蔵作品、播磨みどり作「顔」を貸し出しましたので、
明日はそのオープニングに参加するために愛知まで行ってきます。
(というわけで、明日あさってはブログをお休みします)。
そこであまりにもくたびれた風の私の髪を直してもらうために、
美容室「ロケット」にいきました。
本当は時間をかけて金髪に染めて、と思ったのですが、
ちょっと時間がかかりすぎ、
最近の私は疲れがなかなか取れず、
カットだけで凌いでもらう事にしました。
やっぱり上手ですネエー。
あっという間にシャーリー・マックレーンばりの髪に
変身しました・・・。
いつ行ってもロケットスタジオは新鮮です。
お店のディスプレーがステキで、
おもちゃ箱のような、
それもアンティックな懐かしい世界かなあー。
明るいというか軽やかというかそんなオーラがでています。
何だろう、軽いといってもいわゆる
軽薄、薄っぺらというのではありません。
重みのあるかろさとでもいいましょうか。
たぶん
オーナーの早川氏が、あまり深刻なのを好まず、
しかし深くしたい、
とこんな感じに思っているのかもしれません。
彼はいえあゆるカリスマ美容師とか何とか言うのではなく、
職人さんの域ではなく、まあ、舞台監督ならず、
美容監督とで見いいましょうか、
そのお客の全体性からヘヤーアートをを見ることが出来る、
数少ないアーティストだと思います。
よかったら一度行ってみてください。
昨日種田山頭火の俳句を書いたので、
その続きに山頭火のことを少し読み直してみました。
山頭火も満身創痍、
深い傷をもって生きた人ですが、
うじうじとする軟弱な自分を振り払うように
俳句を作ります。
生い立ちがあまりに悲しいので、
こころにたまる澱みに耐え切れず、
酒におぼれたり、現実から逃げ出したりするのですが、
彼の俳句にはいつも
それをふっきろうとしたりし或いは放り投げたような、
明快な切れ味の言葉がつづられます。
だから読み手に、
ぽんとイメージが渡され、
渡されたほうはその明快さの奥にひろがえる
広々とした、透明で邪心のないイメージを受け取り、
こころがストンと山頭火のそばに落ちていきます。
この「そばに・・・」というのが大切で、
決して「いっしょ」ではなく、
彼は彼で少し離れて、
孤独の中に屹然と立っています。
私はこの距離感がとても好きです。
彼の句を読むたびにいつもいつも、
風や雪の中、
そして暖かな日和の中を去ってゆく山頭火の後姿を
見送っている気がします。
昭和15年10月11日
誰もいない小さな庵の中で生涯を閉じました。
享年59歳。
夕焼けうつくしく今日一日はつつましく
種田山頭火
背後からひたひたと戦争の足音が聞こえてくる寸前の、
秋の一日でした。
hashiraさんのブログを読んで、すごく響いてきました。
山頭火について、勉強してみたいと思います。
それがとてもステキにわたしには思えます。

素敵な句ですね