ささやかに愛! |
我が家の玄関のドライフラワーです。
枯れてもこんなに美しく、
いつもうっとり見ています。
昨夜寝床の中の、
かすかな意識の中でおぼろげに考えていました。
彼女の家に泊まるわたしのために、
布団を干して、お掃除をしてくれていた
Nさんのことを。
たぶん人間なんてのは
そういうささやかな愛情こそが、
物凄く大切なことなんだなぁーと。
おとといの夜、
わたし達の心のなかにぼんやりと在る悲しみについて、
Nさんと二人で夜中まで話しました。
だれもがソウであるかもしれないし、
ソウでないかもしれないこと。
いつもわたしの心の中の奥のほうに在る、
薄ぼんやりにある湿った滴り、少しよどんだ小さな沼。
それはいったいなんなのか?
その小さな澱み、或いは滴りが、
いつも邪魔して自分に自信がもてない。
そこには小さな手のひらに載るくらいの
赤ん坊がいて、泣いていました。
この赤ん坊が、
どうかわたしを守ってください!
わたしを愛してください!
どうかわたしを抱擁してくださいと
心の奥のほうでひっそりと、
そう言うのです。
二人でこの赤ん坊をどうするか話しました。
本当は自分以外の誰か、
それは親だったり、夫だったり、
友達だったり、恋人だったり、
そんな人たちに抱擁されたら安心して、
この赤ん坊は消えるでしょうが、
実際のところ、
50年以上生きてきて、
そんなことはありえないと,
二人ともが思っています。
それは人間というものが、
どの人もどの人も、
たぶん、
同じような愛情に飢えた赤ん坊を
心の奥のほうに抱えていて、
自分のことが満たされることで精一杯だからです。
誰もが愛されたい、抱擁されたいと願っていても、
たぶんそれは永久に満たされないだろう・・・と。
誰もが他人には、
ほんのささやかな愛情しかあげられないのです。
ささやかな親切、ささやかな優しさしかね!
なんとかこの赤ん坊のことを解決して、
生きて生きたい!
自信をもってね。
それには、
でもさまざまな人が与えてくれる、
ほんの少しの、ささやかな愛情を
素直にいただいて、
感謝して、
わたしもささやかにお返しして、
他人にあまえず、依存せず、
悲しいけれど、
残念だけれど
そういうことを肝に銘じながら
生きてゆくしかないと考えました。
ソウと決まったら、
きっぱりと、
他者にへの期待も依存も出来るだけやめて
歩き始めるのみです。
余計な甘えは全部捨てて、
自分の力を信じて、
生きていくぞー!!