芸術の仕事 |

あまりに可愛いので買いました。
銀座の文教館でこのウサギを見つけました。
あまりに可愛く、又幼いので、
自分のインナーチャイルドだと思い、
買いました。
恥ずかしながら、その夜は抱いて寝ました。
以前より何度もインナーチャイルドについて書きましたが。
昨日のあの暗くて重たいブログの後に、
今日もまた。重いものを書くのはと、躊躇しましたが、
やっぱり書かねばと思い、
書きます。
昨日長沢秀之先生が「死」を突き詰めていくことは、
それが反転して、
「生」への肯定になると書いています。
私は正木隆青年のなかに、
暗いシャドーのインナーチャイルドを見ます。それは
生きることを許されなかったチャイルド、
その人が抑圧して、心の奥にしまいこんでしまった
幼児期の願望を持ったもう一人の自分。
多かれ少なかれこのチャイルドは、
誰もが持っていますが、
中には深い深い傷を負った嘆きのチャイルドがいて、
それが心の深層からその人をコントロールしようとします。
暗闇の中から、その人の生きる力を奪い、
ときには破滅へと、
死へと強引に引きずり込もうとします。
正木青年の絵の中に私はこのインナーチャイルドとの
必死の格闘を見るのです。
彼はその暗闇のなかで息を潜め、
事あるごとに、
自分を認知させようとする、
無機化したもうひとりの自分を絵の中に描きました。
それはきわめて象徴的に、
遊具だったり、
懐かしい風景だったりします。
もしかしたら、思い出すことによって
或いは絵の中によみがえらせることによって
彼はもっと傷が深くなるかもしれない。
けど、
それらを光の中に出していく。
自分の闇をあきらかにしていく。
それが芸術の仕事。と、
わたしは思います。
それはきわめてつらい仕事です。
しかし正木青年はやろうとしていた。
そこへもうひとり、
深手を負った彼女が入ってきて、
一緒に暮らすうちに
彼女はそのアトリエで自殺をしました。
今から書くことは正木さんの死から私が勝手に
思っていることで、
正木さんの死の真実とは違います。
このことをはっきりお断りしておきます。
青年のほうは少なくとも「絵を描く」という出口から
自分を見つめようとしています。
しかし彼女のほうはどうだったんでしょうか?
闇に掴まり、
そこから破滅や死へ向かってぐいぐい引きずり込まれそうになる
そのとき出口をもっていなかったとしたら
それは物凄く大変です。
彼女が出口を持たず、
その救済を彼に依存したとしたら、
その重たい重たい現実を二人して背負うことになる。
彼女は彼のアトリエで死にました。
そのことは彼女の物凄い愛情希求の裏返しだと
私は思います。
それと同時にそこに引きずり込まれた青年が背負わされた
重さは、どんなにつらく過酷なものだったかと思います。
彼女は死にたいのではなく、
「生きたくて」
彼のところへ来たのだと思います。
もしかしたら二人が似たような闇を持っていたからかもしれません。
しかし彼女は死にました。
そこには、彼との間の距離や、うめることの出来ない闇の淵があって
もうひとりの「生きる」ために絵を描いている人間にはある、
微かな光が、彼女にはなかったのかもしれません。
長沢先生の書いているとうり、
彼は間違っている。
彼の絵は、
自分の中にある「黄泉の世界」を描く(光の中に出す)ことによって
それは「生」への肯定であり希求でもありました。
彼女が如何しても解決できず、「死」のほうへ向かうときに
共に担うことは不可能であり、
怒涛のように襲ってくる彼女の嘆きや苦しみを
解決できるのは、ただひとり、
彼女自身しかありません。
きっと彼女も光を探して、
生きることを手繰ろうとして、
随分苦しんだと思います。
残念ながら、
正木青年は絵を描くという光の糸を
彼女の深い深い「死」によって
あっという間に全否定されてしまいました。
「僕は本物の『死』に直面し、いまだに筆をもてない状況がつづいています。」
と言う青年の言葉は
圧倒的なリアリティで「死」を語った彼女の物凄い倒錯した愛の中に
彼が飲み込まれていることを語っています。
彼女がどうしても生きるための道ずれとしての彼。
しかし、それが断たれたとき
彼女の断末魔のインナーチャイルドと、
大口を開けて彼を飲み込もうとする
彼女のグレートマザー(彼女のなかの女性性、母性)に
彼は抗する事が出来なかったんだと私は思います。
死んだ彼女の苦しみがどんなに深かったかは
量りしることはできない。
つらかったネェー。
そして、
光を目指して一生懸命戦っていた青年も
あと少しのところで力尽きました。
今日私が書きたかったのは、
彼も彼女も死のぎりぎりまでがきっと、
「生」への希求との闘いであっただろうということ。
本当は二人ともが生きたかったんだということ。
そして彼が残した「絵」は暗闇や孤独や絶望から
はるか遠くに見える「生」への出口をめざし、
萎えそうな自分を立て直しながら一歩一歩暗がりを進む
本当に困難な道の途中であったことを・・・。
昨日ギャラリーに電話を入れました。
正木隆さんの絵を買うことに決めました。
彼の成し遂げた芸術家の仕事として。