2006年 04月 30日
絶対「零」の世界! |

若干二十歳の天才画家 、内藤瑤子さんの作品です。
若い時から打ち上げ花火のように
インスピレーションが浮かび、
私の中では条理があるのだが、
周りの人からは、
訳のわからないことを言う、
変なヒトと思われてきました。
親友からは、国語能力ゼロとまでいわれ(笑い)ていました。
しかし、最近今日を含めて、
それまでの点がどんどんつながってがっていき、
ひとつの線上に大きな地平が見えてきました。
この間ずっと私のブログをよみ続けてくださった方には、
そのご苦労に少しは報いることが出来るかと思います。
4月28日のブログで、
紀元前400年ごろのブッダが唱えた「空」」という概念の
凄さ!
その反対に、
新興宗教や、心理セラピーその他、
最近のスピリチュアルな世界を云々する人々を含めて、
その発想法が平凡で、これまでの世界の延長線上にしか
イメージを結んでいないと書きました。
特に、見えない世界を人格化することの危険性や
自我の問題が相対的に検証解決されていないと
書きました。
今日は最近発行され、
私のブログでも度々取り上げました「ウエブ進化論」
も含めて、書いてみたいと思います。
ご存知のとうり、古代インドバラモン教の数学で、
「ゼロ」いう概念が発見?されました。
古代宗教が「死」の恐怖を相対化したときに
人間の「自我」を相対化せざるを得ず、
その結果ブッダが、
「空」という概念を発見しました。
「在る」という事の相対化が
「ゼロ」=なにもない、或いは「無」であるなら、
「空」=からっぽは、
もっとその先の
すべてを相対化した世界です。
つまり、自我が消滅した世界です。
それこそ、私は
神の地点、或いは「神の視点」と思うのです。
P・Cが本当に純粋データーのみになれば、
この視点に近くなります。
先の「ウエブ進化論」では、
コンピューター(この後PC)が末端まで普及することで、
オープンソースが始まると。
そしてこれまでの情報の特権化が崩れ、
富の分配のパラダイムの変化が始まると、
言っています。
そのとき次の2点が大きな鍵となります。
1、オープンソースが可能にするためには、
お互いの信頼と自己開示が必要である。
2、オープンソースされたとき、
洪水のように押し寄せる玉石混交のソースの中から、
どのようしてその鉱脈を見つけるか?
いずれも問題になるのは、
PCを操作する人間性、すなわち
その人間達の自我の問題が派生してきます。
ソースを解析するには、
この自我の汚れの問題が解決していないと、
とんでもない問題が発生することにもなりかねない。
この自我の問題が解決したときこそ、
そのときこそ私はあの古代の数学者が発見した「ゼロ」・・・。
そしてブッダが説いた「空」に、
再び私たちが回帰する「機」が、
熟したのでは・・・と思うのです。
先日うちの大社長が、
住民基本台帳の閲覧を制限するという法案を巡る
国会の委員会に参考人として呼ばれました。
国民を番号化してpc処理しようということには
たくさんの人がアレルギーを持っています。
あれこれと理由はたくさん言っても、
その根底にあるのは、
自分という人間が番号化されるという不安。
pcを扱う人間に対する不信、
セキュリティーの問題等々など色々でしょうが。
しかし一番の問題として、その根底にあるのは、
「自分の人格」が数字として相対化されるということ。
すなわち「自分のの自我の実態がなくなる」恐怖。
ではないかと思います。
つまり「自我」の問題はPC社会の大きな宿題でもあるのです。
今の社会の延長上の発想ではこのことを解決できません。
現代のお金やモノを巡る争い、
ひいては自分への、
強い固執にとらわれている社会ではねぇー!
西洋の学問の始まりは、
神の言葉を立証することから始まりました。
それは「すべてを明らかにする」という命題のもとに。
科学をはじめさまざま学問の追求が延々と歴史の中
検証されてきました。
今新しい時代の始まりも、
「オープンソース」に鍵があります。
制限を加えずにすべて解き放ったとき
奇跡が起こる。
わたしも自分の苦しみから自分を解き放つために、
ずーとそのことを追求して生きてきました。
自分の自我を解き放とー、と。
このブログでも度々書いてきたように
日本の若者、特に今の10代20代30代の彼らは、
これまでの日本人とは明らかに違う価値観を育てています。
少なくとも彼らは自分の自我を、
相対化し始めています。
それは、教育の間違いからさまざまに追い詰められた子供たちが、
ひきこもりながら、或いは絶望しながらも、
アニメやコミックスや漫画の世界から、
多くの未来へのメッセージを学びました。
そしてそこに託された本当の幸福感や生き方追求することを
アトムをはじめ、ガンダムやエヴァンゲリオンやその他
たくさんの大人たちからプレゼントされたました。
若者達は、
今は鳴りを潜めていても、
やがて表舞台に登場してくるでしょう。
少なくとも、彼らは自分の内面の奥を見つめようとしています。
彼らは人間の深層心理に迫ろうとしています。
たいしたものですよ!
マダマダねじくれたり、すさんだりと、
問題は山積していますが、
少なくとも彼らは自分の自我の汚れを見つめ、
浄化したいと思っている。
ただその方法が、その道筋がわからないだけです。
だから一方でオカルトまがいのもや、
新興宗教的なものがはびこっているのです。
それでも、時が満ちくれば
彼らの出番です。
そのときこそ
自分を追求し、「本当のこと」を追求し、
新生「世界を作るためには、
すべてを相対化しなくてはなりません。
このブログで何度も書きましたが、
「表面世界と深層世界、光の世界と影の世界、
聖なる世界と汚辱なる世界etc・・。
ありとあらゆることがが相対化される。
人間の浅はかな、善悪、国をはじめ集団の幻想と利害、
社会の常識とモラル、そのほかすべての既成概念と価値を
相対化し、洗いなおし、
もう一度検証する。
そのためにはすべてを網羅した神の視点、すなわち、
自分の自我を検証し、
執着をすてて、
絶対「ゼロ、零」の地点に立つこと。または、
近づく努力をしてほしい。
不可能であるとしてもネ・・・。
より自分を磨いて
そこに近づいてほしいと私は思っています。
自我を開放することは、
自分の能力、才能、可能性が高まることをも
意味します。
不安を超えて、恐れを退治して、
自信に満ちた自分を取り戻すことでもあります。
次の時代、新しい世紀が成就するために、
「ウエブ進化論」著者は
人間どうしの信頼を、
「あたらしいオポチュニティ」を機軸にして作れ、と
言っています。
私は、
自我を洗い直し、浄化し、
新生自己の発見だと思います。
そしてそれは、紀元前400年前の仏陀の時代から、
イヤ、もしかしたら、
人間が発生以来の悲願かもしれナイね。
そのとき私は生きて居ないと思うけど、
でももともと人間は、星のかけらから発生した物質で、
死んだら元素になるのだから、
又違うものになって復活するかもしれません。
そのときは又、よろしくお願いいたします。
by denshinbashira
| 2006-04-30 09:34
| 創造性の根源にあるもの・ウエブ戦国時代
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