PC依存症! |
この前青梅に行った時買いました。仕事用に使います。
とても軽い,いい鞄です。
アフリカの泥染めだそうです。
今朝PCがつながらなくてイライラしている自分がいた。
PCに依存している自分がいるねえ。。。
ブログを書くことで自分が認められたり、
他人とつながることが出来る、
そんなことに依存している自分がいるねえ。。。
いけないねえー、
もっとひとりで生きなくちゃあー。
人間は一人ではいきられない、だからといって、
他人にべったり張り付いたり、、
他人をコントロールしようとしたりはダメ!
或いは、
集団に依存したり、まぎれこんだりは、
もっとダメ!
他人は大切だけど、
自分はどんな風に他人とつながり生きるのか・・・。
ここのところの考察が大切なんだ!
とりあえず、私のすることは、
心をとらわれている、PC をはずす!
昨日読んだ本で、幽体離脱したり、
電磁波みたいなものを耳に
つけて、
死後の世界へ行く云々の内容だったけど、
まあそんなこともあるかもしれないけど、
ないかもしれない、
ってな具合で、
でも一ついいことが書いてあった。
人間を卒業するには、いわゆる「聖人」になることではなく、
ありのままの自分の心を、
善なるものも悪なるものも、
すべてをあからさまに見える様になることが・・・と書いてあり、
私としては、
この「あからさまに見る」という言葉の中に
エネルギーを感じました。
それが出来るようになると、人間を卒業ということらしいが。。。?
ただこの本の中で気になるのは、
「守護霊」とか「ガイド」とか
「スーパーラブ」とか、
妙に人間くさいねえ・・・。
それと、天国に行くのに序列や階級があって、
色々資格があるらしい。
そんなこといわずに、
死んだ時くらい
すべて許しておやりよ!と思うヨ!わたしゃッ。。。。
このところ世間で騒いでる、
平塚の母親が実の娘を殺した事件なんかを見ると、
つくづく、人間の業の深さを感じます。
人間の尺度で見ると、
この母親は、救いがたい人格で、
彼女の周りがどんなに澱んでいたかは
量り知れないおぞましさだったでしょうし、
周りにいた人間がどんなに苦しめられたことだろう・・・。
しかし、
神様や仏様の目から見ると、
これほど自分の業に絡めとられて苦しんでいる人間の
心の闇をよくご存知のはずだから、
彼女が死んだときには、
きっと救いの手を差し伸べるであろうと、私は思うヨ!
人間社会では裁かれ断罪されなければならないこの人も、
神の目から見ればのたうち回って、
足掻いて、あがいて苦しんでいる、
ひとりの小さな小さな人間さ・・。
その辺は親鸞の「悪人正機説」や
聖書の中の
「心貧しき者は幸いである」から始まる、
山の上の垂訓や、
「天の父は、悪い人にもよい人にも太陽を上らせ、
正しい人も、正しくない人にも雨を降らせる・・」
という神の領域で、
この世においては、
神様や仏様は黙ってジーつと見ているだけだけどサ・・。
私たち人間ではどうしても許せない、又は、
絶対受け入れられないことも、
死んだらみんなが平等に、
ごくろーさん!って、
神の世界に受け入れられるってコトがいいなあーと
わたしは思います。
そこに本当の救いがあるようで・・・。
高村光太郎は、
「死ねば死にきり、自然は水際だっている」と書いています。
この世のことはこの世でおしまい。
死んだらみんな元素になって宇宙に帰っていく!
それでいいんじゃない・・・!
だからさ少々つらい事があってもサ、
腐らないで、
行きましょう・・・!!