幸せは他人が運んでくる! |
私がご飯を作るときは、
食べさせる相手の事を思いながら、
料理をする。
昨日もうちのバカ亭主が夕飯を食べるというので、
あのクソ暑い中を買い物に行き、
彼のためにご飯を作った。・・・にもかかわらず、
彼は軽く夕飯を済ませて帰ってきた。
帰りが妙に遅いので何となくそうではないかと、
感が働いていたが、
昨日ばかりはブチ切れた!、だって本当に暑い中
色々やったからね・・・。
それなのに、
おなかがすいたから仕方がないと
居直ったので、
テメエの親は、
日本の美しい二つのことば、
「ごめんなさい」と「ありがとう」を
教えなかったのかと・・・と罵倒したら、
余計なお世話だと抜かしやがった。
もう許さない、
今まで何度も同様なことがあったけど、
いつも「まあ、いいか・・・」と許してきたけど、
もう許さない、
コイツの土性骨を叩き直してやると
相手が謝るまで口を利かないことにした。
こういうことは世の中のよくあることで、
些細な事かもしれないが、
実は基本中の基本であるにもかかわらず、
素直にそれを言えない人間はたくさんいる。
久しぶりに爆発した怒りは、
だんだん失望に変わっていった。
いくら相手の事を思いやっても
それがわからないような相手とは・・・と
徒労感ばかりが募って、
一体私は実りのない
独りよがりのことばかりを
しているように思えて、
どんどん気分がふさいでいった。
眠れないままにふと、
最近なくなった友人の旦那さんKさんの事が
頭に浮かんだ。
Kさんが一番輝いていたのはどんなときだろうと
心が動き始め、
Kさんが営業マン現役の頃、
会社の戦力として、自信に満ちて働いていたときの姿が、
眼に浮かんできた。
実はKさんが現役のときにはお会いしていないので、
Kさんのそんな姿などは、
私が知る佶もないのだが、
イメージが浮かんだのである。
つい最近お線香をあげながら、
その遺影写真をじっくり見たことは見たのだが・・・。
きっと会社の中の重要な一員として
大勢の人間のなかで彼は生き生きと、
立ち働いていたのだろう。
もしかしたら人が輝く時っていうのは、
自分が必要とされ、
役割が与えられ、
それを担って必死でがんばっているときかも知れない!
心が張りを持ち、自分の事が必要とされ、
自分が受け容れられているときこそ、
至上の幸福かもしれない。
私は自分のアトリエに
「自分が自分を幸せにする」と書いているけれど、
もうひとつ
「幸せは他人が運んでくる」とも
加えよう。
人間は他者とかかわることによって
生きるハリをもらう。
高々自分の料理が徒労に終わっただけの
小さなことだが、
そこから深いメッセージをもらった一夜でした。
彼が亡くなった後の奥さんの生活を立てるため、
彼の残した家をギャラリーにするプロジェクトを
やらしてもらっています。
この仕事をしながら、
じぶんがいかされていることに
感謝してやっと眠りました。
朝、こんなことは初めてですが、
旦那の口から
「昨日は、ごめんなさい」といわれ、
やっと胸の溜飲が下がりました。
アホー!
もっと早くいわんカイ・・・!