「アントニア」のアニムス! |
少しずつ秋の気配がしてきました。
私は秋と冬が大好きで、
特に紅葉の頃は
心が満たされっぱなしになります。
さて今日は「アニムス」について・・・・。
アニムスは女性の心の中に生きている、
男性性と言いましょうか。
女性性といえば気分やムードを好むといわれていますが、
アニムスに取り付かれた女性は
理屈っぽく、意見を吐くことを好みます。
アニマに取り付かれた男性が
女性の美しさやエレガントさを芸術的に
表現して行くのに比べ、
アニムスに取り付かれた女性の
ステキなところは・・・ハテ・・・?と
考え込んでしまいました。
私が女だからかもしれませんが・・・。
たとえば国会議員の片山何がしさんなんかが
それらしいいのですが・・・
ちっともステキには見えません。
困った困った・・・なあ!
そういえば土井孝子さんなんかもそうなんですがねぇー!
と書きながら
・・・・思い出しました。
随分前に岩波ホールで見たオランダ映画
「アントニア]
を・・・!
このときの主人公アントニアが
いわゆる女性性の中にアニムスを統合した、
ステキな女性でした。
主人公のアントニアは娘を連れてふるさとに出戻ります。
オランダの田舎であるそこは閉鎖的で、
アントニアは「放蕩女」というレッテル張られるなか
周囲の眼をものともせず、
農園を切り開いてがんばります。
彼女の農園の庭で開かれる食卓には、
村の中ではじかれた人々が集まり
映画の中ではそれらの人々の人間らしい
内面の輝きが描かれます。
映画の本流は
女流監督・
マルレーン・ゴリスが
フェミニズムとは・・と
問いかけて、
子供を産み育てる女性が
妊娠だけを男性と共同する以外は
(つまり男から精子をもらう以外は)
一切自力で生きて行くという内容です。
男性に依存せず
又男性の支配下に組せず、逆に
男性にその甘え突きつけて生きます。
男性が作った文化と思想・価値の中で、
男性に都合のいいように
規定された女性の性を跳ね返していきます。
それは男性社会の中のゆがみや差別を
あぶりだすと、共に
「命」を産み
「命」を育てる女性が
「命」とは何かと逆に男性社会に突きつけていきます。
そんな映画のなかで私が強烈に覚えているシーン!
それは猟銃を抱えて、
孫を強姦した男をセイバイしに行く
アントニアの姿です。
酒場にいたその男の顔面に
アントニアは猟銃を突きつけます。
女性を卑下し憎慢していたその男は
震え上がります。
猟銃を抱え
たった一人で薄闇の中を酒場へ向かう
アントニアお婆さんの
何と凛々しいことか!
まさに彼女の中のアニムスが闘いを挑んで
立ち上がっています。
女性が自立した意識に覚醒したとき
それを支えるのもアニムスです。
やたら男の向こうを張って
対抗したり、
女性解放を唱えながらも
自己顕示意識や支配ヨクに
のっとられている女性たくさんいますが、
そのほとんどが
アニムスを統合するのではなく、
アニムスにのっとられていると
私は思います。
アントニアのステキなところは、
女性らしいおおらかな母性と
優しい包容力、
そして
黙々と大地を耕し、
その食卓には、
世間から避難してきたものや、
深く傷ついていてひっそり生きている人々が
集ってきます。
そこはアニマとアニムスの統合された平安な世界です。
高邁な理屈や理論ではありません。
タダ
命は平等だよ!という
まなざしが人間に向けられています。
優しいんです。
今日はアニムスを書いたおかげで、
久しぶりに映画「アントニア」を
思い出しました。
ステキですね!
では
又。