森安建雄映画監督の死を悼んで・・・。 |
映画「復讐するは我にあり」の撮影現場写真です。
主演の緒方拳さんの後ろに写っているのが
我らが森安建雄映画監督です。
大学時代に一緒にバンドをやり、
吉祥寺を根城に遊んだ友人
森安建雄君が
亡くなりました。
まだそれが信じられません。
亡くなる前の日に
彼の親友、ママゴンこと米山学氏と一緒に
お見舞いに行きました。
一緒に遊んだ日の事を思い出して
呼びかけたら
少しまぶたがぴくぴく動き
アア聞こえているんだなあーと
解りました。
森安君・・・!
あの頃、本当に楽しかったねー。
君はいつもアホな冗談ばかり吐いて、
大きい頭と短い足で
大学生なのに
もみ上げを伸ばし、
色眼鏡をかけて、もう
そこらのオッサンみたいだったね。
サックスを吹いて
下ネタでみんなを笑わせて、
いい加減で、ばかばかしい、
本当に変なヤツだった。
バンドに遊びにきた女の子をうまく口説いて
腕時計をかり
それを質に入れて
お金を借りて飲んだり、
ラジオデッキだかナンだかを、
請け出したり
ヤクザというかアホというか、
お嬢さん育ち・・・?の私には
ほんとうに新鮮な世界だったヨ。
それにうまくハモる自分が怖くて・・・!
千葉にヨットのりにみんなで行ったよね。、
覚えているのは、
釣りをしてたくさん魚を釣ったことで、
君がやりたかった
あのカッコイイ、
ヨットの綱に半身をのけぞらせて重心をかけながら、
操作するということをやったっけ・・・?
やること為すことが
マンガチックではずれモノで
自ら道化を演じていたけど、
本当は良家の坊ちゃんで、
カムフラージュしたその奥の奥に
物凄く繊細で誠実な人間の君を
私達はとても愛していました。
ママゴンも、ベースを弾いていた松村君・・・もネ。
五年前に井の頭公園で
久しぶりにお花見をやったとき
心なしか以前の奔放さが少し弱くなったと思ったけど
オマエの娘を紹介しろよ・・・!
って
誰がオマエなんかに紹介するもんか・・の
応酬で、
昔どうりのやり取りが楽しかったね。
一週間前、
近所のツタヤという本屋で
偶然、君の師匠、今村昌平監督の
「映画は狂気の旅である」という本を見つけ
買いました。
その中に
監督の後ろにいる君の写真が載っていました。
「復讐するは我にあり」という映画の
現場写真です。
不思議だねえー・
それまではすっかり君の事を忘れていたのに、
アアそういえば、
森安君どうしているかなあーと
思い出したばかりです。
映画の仕事をしだしてから
物凄く忙しく
睡眠時間一日平均3時間といっていましたね・・。
お給料はほとんどなきに等しいくらいで
それでも映画が好きな奴らが
がんばっている・・・・と。
昨日君の訃報を聞いてから、
P・Cで調べたら、
何と君が2本も映画の監督をしていたことが
わかりました。
よかったね。
スゴイね・・・!
君から聞いて、
「セラー服と機関銃」のラストに
助監督・・森安建雄と言う文字を見たときは
感動しました。
でももしかしたら君は
本当は
ばかばかしい映画を
撮りたかったんじゃなかったの・・・?
世の中にこんなフウに
世間様から外れて生きている人間がいて
通俗の真っ只中を生きているはずの君が
じつは
そこからはるかに俗を超越した
孤高の人生を
歩いていたことに
私は敬意を表します。
私の人生の青春の日に
君に出会えた事を
心からから感謝して
ご冥福を祈ります。
ゲバチビこと
田下 啓子
メールアドレスがわかりませんのでお話がありましたらコメントでお願いいたします。