名づけられた葉・・・。 |
昨日夢で見たおできについて調べてついでに
ユウレイについても調べてみた。
ユウレイとはその人が理解していない
自分の部分で、
漠として不鮮明な認識・知識をあらわすと
書いてあった。
ナルホド、ナルホド
そういうことか・・・!
人間は自分の理解の範疇を超えると
怯えるものだ。
たとえば飛行機を見たこがない
未開の人間は
飛行機に怯えるみたいなに・・・。
なんともたわいのないことを
さも超能力見たいにアレンジしてしまうのも
人間ですねん・・・。
だいいち脳は
アレンジメントの器官とも言われているからね。
人間の脳は
物凄く自己合理化が上手なんです。
自分にとって理解・認識を超えるものを
ナントカして征服するために
それを合理化して名前をつける。
自分の中にあり自分の体と心臓を
どきどきさせることを
恐怖となずけたように。
考えてみれば
幽霊が見えるといった友人達は二人ともが
自分の現実から逃げていた人でした。
弱い自分を合理化していたにすぎない。
すべて名ずけられた物には
魂が宿るというか
物語が始まります。
それがまた私にとっては
なんとも神秘的で
面白いです。
最後に
新川和江さんの詩に
「名づけられた葉」と言うのがあります。
とても好きな詩ですので
ご紹介します。
名づけられた葉
ポプラの木には ポプラの葉
何千何万芽をふいて
緑の小さな手をひろげ
いっしんにひらひらさせても
ひとつひとつのてのひらに
載せられる名はみな同じ
わたしも
いちまいの葉にすぎないけれど
あつい血の樹液をもつ
にんげんの歴史の幹から分かれた小枝に
不安げにしがみついた
おさない葉っぱにすぎないけれど
わたしは呼ばれる
わたしだけの名で 朝に夕に
だからわたし 考えなければならない
誰のまねでもない
葉脈の走らせ方を 刻みの入れ方を
せいいっぱい緑をかがやかせて
うつくしく散る法を
名づけられた葉なのだから
考えなければならない
どんなに風がつよくとも
では。