うどんや甚五郎の芸術力・・・! |
今日はゲイジュツということについて
少し語ろうーか!
私が行くたびに
ここのうどんは芸術的だなーと、
感心するのは
所沢松郷にアルうどん屋さん
「甚五郎」
ここの大将自身が芸術肌というか、
いつも新しいことに挑戦せずにはいられないという
クリエーターなのです。
もちろん基本のうどんやそばは
とびっきり旨いですよ。
特にうどんは
うどんそのものの
熟成した小麦の、
なんともいえない旨みと歯ごたえが
他より群を抜いています。
いわゆるグルタミン酸の
あの奥の深い
アアなんて表現したらいいのだろうか
小麦がこの世で生きるために
自分に蓄えた宝物を
大将がすべて吐き出させて、
うどんにした・・・。と
いうような美味しさです・・・?
それにツユがめちゃくちゃコクがあって、
美味しいです。
デモね今日書きたいのはそういうことは
この店の大将としては自明の理であり、
それ以上にこの店が
ゲイジュツということの本質を突いているから
ソこんとこを
書きます。
つまり
その存在の仕方が
ゲイジュツ的なんですよ。
ここに来るお客は
そばやうどんを食べに来る。
まあ、古民家風で、使っている食器も
それなりに大将のこだわりを示しているが、
いわゆる文化やしつらえを外見に
ゲイジュツそうに示しているワケではない。
言いたいことが旨く言えないので、
例を比較しながら言うが
世の中には
自意識が高く
その店構えが凝っている店が沢山あり、
ウチは他と違って
こだわりのアル店ですよーってのが
あるでしょう。
その店構えだけで
お客を選らぶ
またはなんだか高級そうだったり
又ゲイジュツの匂いしたり・・・・。
デモね
「甚五郎」のスゴイトコは
誰でもが気軽に入れる店で、
車の運ちゃんや工員さんも
気軽に食べに来るし
オバサンも
オトッチャンも
お兄さんもお姉さんも
クソガキも
みんながここのうどんを
楽しんでいる。
食べてみると
その味が
芸術的なんですよ・・・。
誰もがおいしいなあーと思い、それに
値段がふつう・・・。
そこが私はスゴイと思います。
ゲイジュツの仕事をしているともう
構えばっかり
思いばっかりが
先走りしていて、
自分たちを特別化したりしている
エセゲイジュツに沢山出会う。
この前行ったお店も
構えが凝っていて
おしゃれなお蕎麦屋さんだったけど、
食べてみたら、
全然甚五郎には及びませんでした。
食器も現代風でステキだったけど、
本当にそばの醍醐味をわかっていない、
優先順位を間違えているなーと
思いました。
お客を選ぶ分だけ
儲からないでしょう。
いっさいかまわず、
いっさい語らず、
食べてみるとおーッというのが
いいんじゃない・・・。
前にも書いたけど
ゲイジュツの起源は
大衆のその最下層の
棄民のなかから生まれてくる。
市民社会でタブーとされていることを
破ることがそもそもの始まりです。
いわゆる周辺から文化は起こり
つまり市民社会の法の規制からはずれ
どん底ゆえに自由奔放という周辺から
文化が起こってきます。
それが社会の中心に行ったときは
その根源パワーである、
毒や、汚れや、垢が洗い落とされてしまう。
いわゆる洗練されたものとして
支配階級や富裕層のところきたときはもう
お飾りの
死に体ゲイジュツに
成り下がる。
本当のゲイジュツのパワーを知らないで
いわゆる富裕層への憧れを
ゲイジュツに投影して
高級感と勘違いをしているから
ソこんところを読み間違えるってわけさー!
知ってか知らないでか
甚五郎の大将は、
だれも食べたことのないようなモノを作る!
どんな人も美味しいと唸る、
うどんやそばを作る
という職人の志が大きく花開いて、
いわゆるゲイジュツの本質の
クリエーションと
大衆の真っ只中でそれをやるという
表現の大原則をクリアーしている。
「甚五郎」にはひっきりなしにお客が来る。
これこそビジネスの中に
アートがあり
アートが生きものとして
ビジネスの底力になった
模範的ビジネスモデルだと
いつも感心しています。
表現されたものが
どんどん増幅されてさらに発展していく
そのための必要条件
としての
「アート!」
今まで誰も見たことがない!
誰も破らなかったタブー、
そこに
踏み込んで行く・・・。
次の時代は
アートが底ぢからになるんじゃないかと
私は思っています。
早く気づいたモン勝です。