いいかげんが嫌い! |
英語が話せるようになる・・・というのが、
ありました。
海外に行くと必要にせまらえて
カタコト英語を何とか話せるので、
それでまあいいか・・・と
思っていましたら、
あるサイトで英語が上達するには
英語を日本語に訳さず、
英語そのままで考える、云々・・・と書いてありました。
なるほど英語は何とか聞き取れるのですが、
それを日本語に約している間に訳がわからなくなって
しまいます・・・。
英語をそのまま英語でねえー・・と
ためしに
運転しながらいつも聞いている
ビリージョエルの歌詞を英語そのままにして
ききました。
まあ
解るというより。以前よりは英語がそのままで
頭を通っていき
スコシは
理解できるくらいかなあーという感じです。
自分の人生でやりたかったことは
ほとんどやってしまいましたから、
これほど恵まれたことはアリマセン。
最後の事がこの英語ですが、
モウ年でいまさらコツコツやる元気もなく
コレは
このくらいでヨシとしますかネエー。
先日カウンセリングしてもらった先生から、
タオリさんは
いい加減な事が大嫌いな人です・・・と
指摘されて始めて
自分がいい加減なことが嫌いなんだと、
解りました。
自分ではいい加減なトコだらけだと、
思っていましたから、
以外でした。
でも、
よくよく考えてみると
自分のなかであいまいなことは
きちんとただそうとしている自分が確かにいます。
あいまいだと気がすまない自分もいますねえー!
でもそのおかげで
解決できたこと
理解できたことは確実にわたしの胸に
ストンと落ちて
蓄積していきました。
いま自分が自信を持って行動できるのは
この物事を、
いい加減にせず
きちんと解決してきたおかげだと
思っています。
世の中には、
白、黒、はっきりさせないほうがいいことも、
たくさんあります。
あいまいな中で時間の経過とともに、
自然に解決して行く事だって
ありまいす。
でも逆に白黒付つけないと前へ進めないのに
それを放棄しているひとだって、
たくさんいます。
それらをどのように判断し選択するかは
ひとそれぞれですが、、
私に限っては
極力自分の心を、
「空、カラッポ」にしておきたいために
曖昧さを解決してきたように
思います。
ちょっと考えると
物事をあいまいにして置ける人のほうが
こころの余裕が
包容力があるようにおもえますが、
私は逆に
あいまいなるものを極力取り除いた人のほうが
こころに空洞が広がり
物事の受け入れが大きい
器が大きくなるように思います。
人間完璧ではありませんし
無理をしてまで
解決することもありませんが、
できるだけ
じぶんのなかで
極力納得しながら
生きてゆきたいと思っています。
ただし
ドウでもいいこと
次元の低いことは
迷わず
切り捨てて行く事ができてのうえの
事です。