魂と、簡単に言うな・・・!パートⅡ |
吼えたかは、
その事がいかに人間にとって到達しがたい
高踏な澄みきった境地で、しかし
それは私たちの心の原型です。
逆に
私たちは幾重にも不安や欲、執着、
そして
自己防衛のエゴを身に着けて、
生きている。
それが悪いとか、
ストイックに
清らかに生きれとか、
言っているのではない。
人間はそういう者なのです。
それは人間だから仕方のないことなのです。
私たちが生きる必然として
身に着けてしまった鎧で、
その鎧がなかったら
私たちは
生き延びれなかったかもしれない。
私たちを守ってくれた
鎧でも有るのです。
しかし
有るときから
その鎧がわたしを苦しめ始める。
その鎧が有るためにどんどん自分が
窒息していく。
自分を守るために
人間を見る眼が不信感に曇ったり、
常に警戒と防御で他人とかかわったり、
防具の自分がどんどん膨張して
本当の自分が
遥かかなたに置き去りにされてしまう。
素手の暖かいぬくもりを相手に伝えることも、
自分が感じることもできなくなってくる。
こんなに寂しいのに
この寂しさをだれにも伝えられない・・。
心にいつも塊がツッかえていて、
スカッと晴れやかに生きれない・・・などなど。
自分が押し潰されそうになったら
捨てる・・ということの開始です。
はっきり言うと、
人間は
有るときを境に
死に向かって生きます。
死とは
ありとあらゆる事が
必要なくなるときです。
私自身この「「死」ということが
これからのテーマです。
だからできるだけ「今の瞬間」を
高踏に生きる。
そのために
よけいなものは
捨てて生きる。
それは、物ではなく、
自分の心を濁している
人間不信、詮索、憶測、欲・・・自己保身を
捨てられるだけすてて、
心は、できるだけ
まっすぐ、
カラッポにして
たましいのレベルで
ひとと交わる。
そして
最後にカラッポに、
枯れ切った幹が枝が
ポキッと折れて私はオシマイ・・。
が
理想です。
そしてね、
大切なこと、
何を捨てたら自分が
軽やかに生きていき
「たましい」ということを
他者と分かち合えるかは、
不安の中を歩かないと、
不安に襲われている人の心はわからない。
たった一人ぼっちで歩かないと
孤独の人の悲しさはわからない・・・。
欲に駆られて苦しまないと
欲に呑み込まれている人のあがきは
解らない・・・。
もし本当にたましいのレベルで、
ひとと一緒に生きたいなら、
自分が経験する困難を
軽薄にごまかさないで
しっかり受けとめて
それを
生きてぬいて初めて
ひとの、
自分の
たましいの在り処が
見えてくる。
「たましい」という事が
人間にとって、
いかに重いテーマで有るかを知っている人間は
軽々しくそれを口にできないはずです。
だから簡単に言うな!
人を愛するということが
いかに自分のエゴを超えなければ、
できないか、
逆に
人間がどれほど自分の事しか
愛せない動物かを知っていれば
つまり人間の行動すべては、
自分の為にやっていることを
百も承知の上でなお
「愛」なることを語らなければ
それが偽善であるということを
知って
「愛」を口にしろ・・・と
私は思います。
あまりにも厳しい事ですが、
自分の深淵をみつめてこそ、
人生の盟友
たましいのレベルで交流できる
友に出会えるのだと
私は思っています。
※そしてね、ビジネスもこの「魂」レベルでの意思一致ができたチームは
難問をどんどん切り抜け、
パワーと行動力に抜群の力を発揮すると思います。
成功への一番の早道です。