風狂・一休! |
実は新潟の豪農の館というところです。
おそらくレプリカですが、
一気に書き上げていて
凄いなあーとおもいました。
「諸悪莫作 衆善奉行」
(しょあくまくさ、しゅうぜんぶぎょう)
というらしく、
意味は
もろもろのワルイコトをせず、
もろもろの良いことをせよ・・という
いたって平凡なことで、
わたしにとっては、
耳にタコという感じです。
この書を書いた一休さんが、
それほど善人だったかというと、
何かというと、逸脱し、
反抗的で、自己ちゅーというか
あんまりお手本にはならない坊さんのようです。
それに兄弟子の悪口を言いたい放題に書いているし。
エロイ漢詩もたくさん書いていて
破戒僧というか
やりたい放題という感じがします。
でもねー。
すごく人間的で、
正直じゃあないですか・・・!
特に、
最近特に
日本人はいいコちゃんぶりたがり、
清潔、けっぺき、正義の味方
なんだかいいコちゃんシンドロームという感じが、
してなりません。
立派な人になるのはいいけれど
それよりも前に正直な自分も
ずるい自分も、
気の小さい自分も
よからぬ事を考えてしまう自分も
いろいろあって
いいんだと私は思います。
茂木健一郎さんの本などをよむと、
ソーンな事ゼーンぶ含めて
脳のクオリアなるものが、
豊かになっていくそうです。
自分を制限せず、
むしろ自分に沸きおこってくる、
もろもろの欲求を受け入れたほうが
ズーッと脳の性能がよぅなるらしいから・・・!
本当の悟りとは
立派な人になることより、
一休さんのように
ありのままの自分をさらけて、
自在に生きることなのだと
私は思っています。
でもこのことほど、
難しいことはアリマセン。
人間はどうしても他人との関係の中でしか
生きれませんから
自分をより高く見せようとしたり、
自分の汚いとこを、
他人に気取られないように思うのも
無理のないことです。
人間チャー
そんなものですバイ!
だから一休さんの生き方というか
人生のこの技は
ものすごく高度な技だと
私は思います。
自分をさらして
平然と生きる・・・。
些細なことで、
くよくよする私は
いつになったら、
そこにいけるのでしょうか・・・?
自分の木像に
ひげや髪を植えつけことは、
いわゆる
ケッタイなお坊さん・・・?
偶像化や
聖人化を拒否し、
わざと
自分の
なまなましさを
見せつけようとしたのかなあーと
思ったりするのですが、
真意はわかりません。
単なるテレかもしれないしねえー!
ただこういう坊主が他にいないことは
マチガイない!
風狂とか言われているらしいけど、
よくよく人間の事を
知り尽くした
ヘンなオッサン
だったのかもしれないと
思います。
では、
また。