二人の紳士・・・。 |
お会い(見ま)しました。
ニヒル牛2の企画、
石川浩司展で、
ニヒル牛の展示だな(畳、一畳)に
石川浩司さんが後ろ向きに寝ており、
まわりに彼の持ち芸とその代金が書いたしおりが
貼ってありました。
たとえば私のリクエストは
「田角栄」(モノマネ)100円とか
こじきの歌800円とか
わっしゃゴキブリ(歌う)1000円とかで・・・。
それを伝票に書いて
彼の寝床の柱に吊るしてあるフライパンを
すりこ木棒で、カンカン、カンと
叩き、
石川さんを起して伝票を手渡しすと、
やおら、
起きてきた浩司さんが
その芸を演じてくれるのです。
まあ
楽しいやら
あほらしいやら
侘しいやら・・。
笑いころげて・・・・。
でもなんとなく
無常観のある
「芸」で・・・。
不思議なひとですね・・。
きっとかれはこの展示をシャレで、
大上段にかまえてやっているのではないと
思いますが・・。
わたしはなんとなく
この展示の底流にアル「生き方」を
教わったなあーと
思いました。
通俗を超えた大道の詩人
「こじき芸」・・・。
このこじき芸というのは、
蔑称ではアリマセン。
そもそもが芸能の起源は
「河原コジキ」にありと
私はいつもそこを原点に
据えていますから・・・。
もともと奈良時代に
いろいろな曲芸、音舞芸などが
渡来してきますが、
室町のはじめ
賎民と呼ばれ、
市民社会の外側にいた人々。
税金を納めない代わりに
市民権をもてない貧民の中に
逸脱した才能の芸人がいました。
それは失うものを持たない人間の
存在とまなざしが
ナニゴトにも迎合しない
厳しい裸形の人間洞察の上に
高い芸や技術、思想を持って
「河原コジキ」として芸能をやっていました。
その河原こじきの中から
あの世阿弥ナドが台頭してきますが、
しかしその原点というか起点には
いわゆる厳しい賎のまなざしが
ありました。
何となくそんなことを
石川さんの芸に感じて帰りましたが、
この石川さんとは反対でありながら、
同質のことを感じた方がいます。
おとつい行ったギャラリーブリキ星の
ご主人加川さんのことです。
いつも物静かで
きちんと正座してお茶を入れてくださいます。
お会いするたびに
何となく
草木の禅僧というような
生きるたたずまいを感じます。
難しいことや
それめいたことは
一切語られませんが
言葉にならない人間に対する
深い思いを感じます。
石川さんと加川さん・・、
このお二人に対して
わたしの頭をかすめていったのは
「紳士」・・・・。
ステキな男性。。。
最近めったに男性諸君に対して
この「紳士」という言葉は
思いつきませんから、
とても嬉しかったです。
稀少な稀少な紳士二人に
連続してお会いでき
なんとなく
満たされたなーと
おもいまいした。