それでも人生にイエスと・・・。 |
庭に咲いていたドクダミの花です。
楚々と咲いて美しいなぁー! 備前の土瓶に活けました。
数日前私は父ちゃんの会社へ
殴りこみをかけました。
社員の前で
公開夫婦喧嘩をやろうと思って・・。
もちろんこんな事
常識ハズレ、常軌を逸した
無茶クチャでしょうけど・・・。
父ちゃんのついた小さな、何気ない嘘が原因で
私の心の中で
砂に水が沁み込んでいくように
悲しみが広がっていきました。
なぜ彼がそんな嘘をつかなければならないのかは、
私達夫婦の歴史の中で
ズーと解決されずに
放置されてきたことがあります。
なぜ私が会社へ乗り込まねば・・と
思いつめたのかは・・・。
私達家族の中にいつも
「会社」という存在が割り込み、
優先され、
まるで黄門様の印籠のように
家族の心の問題がその前に
平伏させられてきたからです。
いろんなことがありました。
そんなことを何とか乗り越えて
家族の
それぞれの今がありますが、
いつも喉には小骨が引っかかっていて
今回も再発してまいました。
私にはもう人生の時間が迫ってきます。
何とか夫婦として
親子として
その小骨を取って、解決して
あの世に行こうといつも
その小骨のことが頭の隅にありました。
親子の間でも
心のすれ違いや
お互いの理解の不備や
コミュニケーションの欠落などから
いろいろありましたが、
私と子供たちとの、
裸のぶつかり合いの中で
今では本当に魂レベルでの交流ができるまでに
なりました。
今回のことは
父親だけがその埒外にあり、
彼だけが心を閉じている・・・。
その後ろめたさから彼は
自己防衛的に
小さなごまかしをやってしまいました。
表面の現象から見たら
常軌を逸した妻が
会社に乗り込んで暴言を吐いている風景となり、
父ちゃんは物笑いの種にされるかもしれない・・し。
普通にみれば
恥さらし・・・です。。
でもそんなことも
モウいいです。
どうってことない。。。
会社に逃げ込む彼に、
絶体絶命的に喉元に匕首をつきつけ
その閉じている魂を引ずり出す・・・。と決心して
強行に及びました・・・(笑い)。
オーストリアの心理学者
V・E・フランクルの言葉に
「それでも人生にイエスと言う」・・・と
いうのがあります。
ナチス、アウシュビッツ強制収容所に送られ、
家族を殺されたなかから、
奇跡的に生還したフランクル博士の
この言葉は、
深くて重くて、
人間の極限を生きぬいた
至宝の言葉です。
根底に流れるのは
どんな極限の時にも
希望と信頼を持ち続けようとした人間達への
賛歌、ソシテ
博士の遺言だと
私は思っています。
今回というより
いつも私の中には、
何よりも優先して
自分がどう生きるかの自問があります。
それは
些細なことも
くだらないことも
すべてを冷厳に大切に受け入れ
自分の今を
生き抜くことだと
思っています。
モウ一つ
私が自分で作った言葉ですが
夜寝る前に自分に言います。
「今日も私のたいせつな一日が終わりました。]
人の一瞬、一瞬が
まさに
時であると
私は思います。
大切にね・・・。