生まれたついでに・・・! |
人間は生まれたついでに
生きている・・・くらいで
ちょうどいい。
とありました。
かけがえのない。。。とか
この世の役割うんぬんとか
そういうことは一切関係せず、
たまたま生まれて
たまたまついでに生きてる。
この思想の真意は
人間はすべて平等に生まれ、
平等に死ぬ・・。であり
その「生きる」という平等さにおいて
天皇もホームレスも
同一である・・と
いうものです。
いいねえー!
そうかもしれない・・・。
この軽妙さが
スキです・・・。
私たちはどうしても
自分に価値付けをしたがるけれど、
本当は一瞬、一瞬を
必死で生きているのに
過ぎないのかもしれません。
すべての人々がね。
ソクラテスの「無知の知」や
「善く生きよ」ということは
本当は人間なんて、
わかっているようで
わかっていない愚か者で
わかっているふりをしている者よりも
わかっていないと自覚のあるほうが
マシな人間だと
いえるかもしれませんねえー。
昨日書いたことの補修とでも
言いましょうか。
人間が他人とうまくいかないときは
たいがい、
自分の中に他人への依存や
自信の喪失があるときです。
構える必要は全くありません。
よろよろ、フラフラに
生きててもいいんです。
でも何時も
自分は自分と
足が地に付いていないと
人間は他人に付け込まれます。
あっというまに・・・ね。
人と人は皆対等・・。
この対等ということが
しッかり身についていないと・・・。
無意識の内に依存し喰われてしまいます。
ソシテ又
自分の脳がイメージして
自分を生かしていくんだということを
忘れないでください。
すべては
自分で決めるんです。
生まれついたところが
天皇家だろうが橋の下だろうが・・・、
人は生き続けるよりほかない・・。
だからどう生きるかを
自分できめるんです。
そのうえで、最後に私は
神様に祈ります。
それは宗教の人格神ではありません。
かつて私もキリスト教の洗礼を受けました・・が
今は
キリストをも超越した
大いなるもの
わたしを生かしている
わたしを超えた大きな力に対して
祈ります。
人間がいかに脆弱であるか
いかに小さいものであるか・・・。
自分の心の狭さや愚かさを超えて
わたしを赦してくれている
何かに
祈ります。
精一杯生きていますから
あとはお任せしますと・・ね。
たくさん書きました
又書きます。
では。

検索エンジンで何かを探していて(何かは忘れました。)こちらのブログに
たどり着き、なんとなく心惹かれるものがありブックマークしていました。
>ソクラテス
学生時代に「~の弁明」を読みました。
1度では訳が分からず7,8回読み返してみてようやくソクラテス(プラトン)
が言いたかったことがなんとなく分かって穏やかな衝撃を受けたことを覚
えています。
時は過ぎあの時何に心動かされたのかはさっぱり覚えていませんが。
(笑)
必死に生きていると、車を高速で走らせるように気付かぬうちに視野が狭
くなっていて気が付かない。
読んでいて何か心が軽くなったような、狭い部屋に閉じ込められて暑苦し
かったところバッと窓を開けたら涼しい風が吹き込んできた、そんな気が
しました。