2007年 07月 06日
原始のうさぎ、時代をつかむ・・・! |

内藤瑤子さんの版画、
「原始のうさぎ」です。・・・凄い。
ウサギが臨戦態勢に
入っています。
ヨーシッ、
いくぞーzzz!
どうころんでも、
私たちは「時代」という限定の中でしか生きれない・・!
その中でアートが時代をつかむということは
どういうことなのか・・?
ひとつの方法は昨日も書いたように
徹底的に自分(個)をほりさげてゆく・・。
そして
モウひとつは
時代の渦の中に突っ込んでyゆく・・。
このアンビバレンツなふたつの方法において
共通するツールは
自分という「柱」です。
コノ柱を徹底的に追求しても、
徹底的に放棄するにしても、
コノ柱をめぐる攻防です。
コノ柱というのが、自我、自意識で
コノ自意識の痛みぐあいが、
時代との距離になるような気がします。
ある人は風のように
自我を放棄して
社会からドロップアウトしたり、
ある人は自我に固執して
社会的の中心へと突っ込むか、
いずれにしても、
自分の立ち位置を決めるのが、
自我の痛み具合かなあーと思います。
以前書いた新撰組の若者たちは
自我に否定的な
深い傷を負っていましたから、
どうしても自己を成立させるために
時代に突っ込んでいきました。
その中心へ中心へと向かうベクトルゆえ、
彼らは時代の周辺を見落として
敗北していきました。
でも、
それはそれで、
素敵な事だなあーとも
おもいます。
動く事もせず、
傍観しているより、
ずーっといいです。
しかし自我がもッともっとボロボロで、
完璧に干あがっていたら、
モウチョッと時代が明確に、
見えていたかも知れません。
おそらく彼らの身分が武士でなかったことが
反対に彼らの人間的な人の良さを
保っていたのかもしれません。
武士の真っ只中にいた者の絶望のほうが
もっと深かったでしょうから・・。
アート(芸術)に関しても今の時代は
モウ干あがって
カランカランの日干し状態の時代感覚を
干物のような自我が
その危機をつかんでいるかどうか・・・。
中心では相変わらず印象派以来の
既成観念にとらわれた、
出がらし的美術論が
かろうじて食いつないでいるように見えます。
いまだに
アカデミズムに乗っ取られている・・・。
モウ何もない、
みんな干あがって砂漠どころか、
固形化した大地に立っているという
自意識がないアートは
やっぱり、だめでしょう。
どう表現したらいいか
わからない・・というくらい
苦しんでいないと・・・ねえ。。
少なくとも、
今の美術界には近寄らない、くらいで
ナイとねえー!
いずれにしても、
古い美術観にまみれた先生方が
死に絶えないと・・・始らない(笑い)かも!
干からびた中央を遠く外側の周辺から
冷徹に
ぎょろり・・凝視している目こそ、
いずれ
機が熟せば、
時代をつかんでいく本流になると
私は思っています。
ただそれは
ほんのわずかな若者たちで、
なかなか出会う事ができません・・が。
また少しずつ探し歩いてみますかね・・・、、
秋ぐらいになったら・・・。
出会えると
いいなぁー・・・・。
明日は「もう一度鎖国せよ・・!」というアート論を
考えようかなあーと
思案しているところです・・。
by denshinbashira
| 2007-07-06 15:10
| アートの世界
|
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