市場原理と人間原理・・・・。 |
そこの社長が
自分とこはアットホームなのが特徴で
そういう文化があると書いてある。
ナニをボケたことをぬかしてるんだと
思う。
ソモソモ企業というのは
市場原理の上にしか成り立たない。
市場原理というの営利を追求し
数字によって支配されル世界で、
そういう市場原理と生産性に
アイデンティテーをのっとられてしまった苦しみが
今の日本蔓延している。
それにくらべ、
家族とか家庭の原理は
人間の絆という
全く市場原理どころか
数値でははかり知れない
人間原理の世界です。
そこでは生産性が全くない
ダメな人間でも
父として母としてあるは子供として
かけがえのない価値を持っている。
それは他と取替えが聞かない
絶対的な関係性の価値を持っている。
日本が間違い始めたのは
この市場原理が
いつの間にか人間原理にまで
はびこるようになり、
学校の成績がいいのが良いコで、
又スポーツでも他の何かでも
一定の数値を上げる子供は評価され、
いい学校
いい大学
いい就職・・すれば
幸福も手に入るような
錯覚で、
みんな
がんばった・・・。
高度経済成長を経て
何か
生産性があることが
幸せを持たらすような
幻影の催眠状態になってしまたのが
今の日本です。
いつの間にか家族の関係にまで
生産性と市場原理が
侵食してきて、
父親不在、家族の崩壊、社会不安 犯罪の増加
精神病理の潜在化・・という
今の日本の病理を作ってしまいました。
人間が数字化され、
物の如く扱われ
人間としてのなまなましい感情や
感覚の抑圧が
いちじるしい・・日本です。
生まれてきた赤ちゃんは
人間の体温のスキンシップを得ないと
脊髄が発達して行きません。
無で生まれる赤ちゃんは
親や周りの人間の無償の体温のなかで
生きています。
これが家族の
「原型」です。
それに比べ
私たちがお金を得るためには
市場原理のなかの厳しい競争の中に
はいり、
そこでなにがしかの
成果を出していかなけれなりません。
いわば企業と家庭とは
全く相容れない価値の下にあることを
認識できないから
こういうアホなことを
この社長は言うのです。
残念ながら相容れないこの世界を
資本主義社会に住む私たちは
二足のワラジをはきながら
生きていくしかありません。
どうしたらわたしたちは
二足のワラジをはきながら
人間らしい幸福を追求できるか・・・?
不景気の時は
景気が回復したら、
いろんなことが解決しそうな
幸福になれそうな
夢をみましたねえー・・。
でも本当にそうでしょうか・・・?
私はこの企業の市場原理と
家族の間にはっきりと
厳しい線引きをしたらいいとおもいます。
お金を稼ぐには
厳しい競争の中を生きる覚悟が必要だという自明
そして
家族の幸福や人間らしい生活をするには
市場原理から距離をとり、
お金の代わりに
貧しくても
そちらの幸福を大切にする。
ソシテできるなら、
企業が
家族、人間の原理と共存できるシステムを
作る。
社会全体の生産性の限界ライン設定し、
そして
もうひとつは
グローバル化を
やらない・・・。
グローバル化をやることによって
日生産性の追求はさらに厳しくなり、
日本の国民は疲弊しきって
行くでしょう・・・。
鎖国の時代ではないけれど
日本は日本の独自性において
世界との関係を設定する。
それは決してナショナリズムではなく、
世界がそれぞれの独自性をもって
並列して存在、交流する・・・という
地球アイデンティテーを
確立するのです。
アメリカもアラブもアジアもヨーロッパも
みんな並列して自立する・・。
そんな地球世界が来ればいいなあー・・・と
思いますが・・・・!
いかがでしょうか・・・?
これからの社会はいよいよ格差の
広がる社会です。
でもこれは市場原理の中に生きている限り
避けることができません。
でもね
でもね
そうだからこそ、
私たちは、自分たちの幸福とは何かを
考えなくいてはいけません。
自分はナニを優先し、何を選び
どういう人生をよしとするか・・・。
それによって
もしかしたら
もっとも自分らしい生活スタイルや
生き方を
生きる事ができるかも
しれないのです。
今までのように
みんなが同じ方向を向いてハシラナイ・・・!
一人、ひとりが
自分の人生を深く考えなければいけない時代がきます。
それぞれが、それぞれに
選び取った人生をね・・・。
そのことはもしかしたら
とても有意義で
幸せなことかもしれない・・・。
と私は次の時代を羨望して
みています。
たくさん書きました。
今日は
これまでに・・・。
本当にそうですね。鋭く的を得た評論だと感じます。
グローバルの必要性は無く、尚且つ無理であるように感じます。
先進国と途上国の国家コスト・物価が違う訳ですから。。。。。
ゴルフのようにハンディキャップもしくは、食料自給率を上げて
輸入される物に対しても見直しが必要に思います。
ごく一部の企業の為の規制緩和が国内の生活者を傷つけている事を
考えた場合、その一部の企業が日本国内の就労人口を全て吸収できるのであれば問題ないですけど。このままでは日本は駄目になってしまうように思います。
一人一人が考えなくては・・と思います。
言う事を意識している方は少ないとも思います。選択肢の広がりが
逆に国内の生活者をより貧困に導いている様に感じます。
あれもしたい、これも欲しい。欲望があり過ぎたため、全部の欲に手を染めたい余り、全体的なバランスが取れずに競争原理に自らが入り込んでいる事も事実だと感じます。国民であり消費者が行動を起さなければ
きっと国は頼りにならないでしょうし、国内の環境。イデオロギーが変化しないと駄目なところもありそうです。賢く生きるべきだと感じます。
資源の無い国、流通業が全てである国内に対し、もう一度個人個人が
考えなければならないと思います。因みに私は42歳ですが、最近色々
肌で感じてしまいます。
私が子供の頃に比べて毎日が贅沢三昧のような暮らしになり、この豊かさは夢のようです。
でもあの頃の自由さと奔放さは失ってしまったように思います。これからは私たちに必要なものはナンなのかを、本質的に考査し、優先順位を決め、整理して行かなければならない時代に来ていると思います。42歳、気力がますます充実していく時ですね。何でも見てやろう・・と言ったのは先日なくなった小田実さんの言葉ですが・・これからですよ、大きな世界観と視野を持って力を発揮してください。