ドーパミン、バンバン・・・! |
思い込みの世界で
この世のすべては
自分の思い込みの窓から覗いた風景です。
と以前から
申し上げていますが、
そのときその窓の主体である自我は
その人間の生命保全の危機管理装置と
私は思っていました。
自分の生命を守り育てるために
神経ネットワークを通してつかんだデーターの
集積が自我で、
それゆえ自我はいつも変化に対して保守であり
現状維持を図ろうとする。
つまり自分が変わると言うことに対して
自我は抵抗する。
昔に比べ現代は脳k科学の発達が著しく、
昨日読んだ、機能脳科学者の
苫米地英人氏の「新福音書」によれば
自我は他者との関係性における情報の集積で
いわば人間に備わっている
関係性に対する免疫システムのような
ものだ・・・と言うことデス。
なるほど
この専門家でも学問があるわけでもない
オバサンが、
自分を実験台しに検証、推論してきたことは
まんざら当たってなくもナカッタト言う訳だ・・・!
私の半生はいかに
自分の思い込みから
解放されるかでした。
特に自分が違和を感じたり
不安や怖れに怯える自分の根拠を
解明したり、
ソシテ自分にとって
生きてゆく為の障害となる
既成観念と関係性の取捨は
ちょっと
常軌を逸したものだったかもしれませんが
でもやってよかった。
一度きりしかない人生を
いかに
自分の実感に基づいて生きるか・・・や
自分が感じることを基底に生き、
自分の心と言葉を常に一致させて話すなど、
それは何時もいつも
自分の孤立と裏腹なものでした。
集団に隷属しない、
他人に依存しない
もちろん他人に
媚びないことは自明の理で、
他者からするとなんて
わがままで、
自己中心なのかと
思われた事でしょう。
でも
今は
そういう自分の生き方があってこそ、
不安や怖れの正体を知り、
いかに自分の思い込みであまたマチガイを犯し、
しかしそれを客観的に検証でき、
また自分のあり方の軌道修正ができたかと思います。
今日もまた
自我と言うものが
生命保全の免疫システム化した
関係性の情報集積であり
それは常に微妙に
自分を書き換えながら
生きているということを
学ぶこいとができました。
モウ一つ自分が進化しました。
それに私のスゴイ武器、
自分を自己開示し
自我の大きな変革をする
勇気を持っている・・・自慢デス・・・?
自分が開示され
変わったときの
感動は
スゴイよ・・・・”!!
ドーパミン、バンバンです。
ますます元気と自信がでてきましたゾ!
できうるなら
ほんとうに自分を解放しきって
自由に
ソシテ
囚われることのない世界へ
行くとこまで行ってやろうと
思っています。
ここまできたんですから、
命もあとすこしダシ・・ねえ。