自我という情報・・・! |
しかし今日書こうとしていることは
わたしが是非
自分の子供たちに書き残しておきたい
いわば遺言です。
もしご迷惑でなかったら
最後まで読みぬいていただければと思います。
難解かもしれませんが
人間の中に潜在的にある
大きなポテンシャル、ソシテ
自分を生かし又大いなる充足の人生を得るため
書き残していきます。
常識的に考えたら、自我が
神経ネットワークの集めた
生命情報の集積であり
刻一刻と書き換えながら
自分が生きているなんて,
考えられないかと思います。
多くの人は
自分が一個の確立した人格を持って
生きており、
自我は自分そのものとして独立していると
考えていると思います。
ましてや自分が生きている世界が
自我が作り出している幻想で、
自分が持ってる価値観が
その集団が持っているある種の
マインドコントロールの中にいるなんて
そんなバカナ・・・と思うのが極めて
ノーマルだと思います。・・・・が、
宮沢賢治が書いたように
私たちは、
私たちという”現象”、
瞬間、瞬間ごとに点滅する有機交流のよに、
脳は瞬間,瞬間を生きてる
まさしく、現象の集積です。
そして懸命な脳は
その生体=体が、
環境に適応するように
環境に適した情報を固定化します。
つまり私たちの生体細胞がいつも
一定の体温と脈拍数を保ちながら心身ともに
安定し
他の臓器も含めて
その生体が
”生きることが安定”するに有効な情報を
固定しその枠の中で
生きようとします。
それは人のDNAや、又生育環境の中で書き込まれた
情報(すべての理念的なこと、物理的な生きかたを含む)
たとえば極端なはなし、
いつも親から暴力を受けている生体(子供)は
その暴力を受けても生き延びれるように
自我情報が加工されます。
暴力を受けることが、
恒常的な生育条件になってしまった子供が
逆に全く暴力がない、
まして今まで受けたこのない
情愛を注がれると
その生体(こどもの体と心)は混乱を起し
逆にパニックや不信が起こり熱を出したり
病気になったり・・・する
と言うようなことも起きてきます。
脳というには
それほど私たちのいのちの保全をはかり
またそれほど
フレキシブルな判断をする
機関です。
すごいね・・!
これこそ愛情かもしれません。
だから
私たちの自我は得たその情報が
急激な変化をもたらすときは
必ず抵抗し
現状を維持しようとします。
(自分を変えたくない。変わりたくない・・という意識が
働き、又鼓動が早くなったり、血圧が上がったりします。)
逆に少量の変化に対しては対応ができ
存在(脳と体)すべて含めて
緩やかに変化していきます。
ソシテそれらはすべて
自分という生体と自分以外のすべてのモノ世界
(この場合物理的環境)と
他者との関係・・・から来る情報によって
自分がどのように存在するかを決定している
それが・・・自我です。
自我とか精神(こころ)があたかも物理現象のように
錯覚してしまいますが、
実は極めて抽象的な
情報現象だと私は思います。
ソシテこの情報を統括する、
或いは情報の免疫装置としての自我は常に
"今””過去””未来”を瞬時にシャッフルして
情勢を判断、決断をしながら一瞬、一瞬を
わたし達は生きています。
わたし達は自意識を
永劫普遍のように勘違いしますが、
細胞が刻一刻と変化するように
わたし達の意識も
生物としての時を変化しながら生きています。
さて
わたし達は有史以来、
自分たちのが生きるために
或いは飢え死にしないために
”もの”をいかに獲得して生きるかという
歴史のなかを歩いてきました。
それは”モノ”を得るために
競争し奪い合い又時に分け合うと言う
”モノ”を媒介にした世界観の生き方で、
その極まったものが今の資本主義社会であり
市場原理が貫徹した社会です。しかし
この”もの”を媒介にした社会が今大きく変化しました。
IT社会は”もの”から”情報”を媒介にする社会へと
転換され、
逆に”ものは飽和状態がおきている状態になっています。
世界の中には飢餓状態の国があり、
まだまだ飽和なんて・・ということもありますが
それは
地球と言う資源の分配を間違えているからです。
地球と言う資源の富を奪いあい
富を独占しようとする国、人間、
人間として極めて低俗で
覚醒ができない人間たちが
世界の、リーダーとして
自分たちの問題性に気づいていないからです。
局部的に
食料や資源が偏り、紛争を起し
飽食の果てに食べものが
ゴミとして捨てられている。
地球の資源は
地球が作ったもので
たまたまその地域に住む人間だけが恩恵を受けるのは
おかしいんです。
ほんとうは
世界中で分け会わなければならない食べもや
資源が
無残に独占され、
そして消費され挙句の果てに
破滅へと向かうなんて・・
なんて愚かなことかと思います。
この”もの”を媒介に奪い合う社会から
いかにわたし達は脱出するか・・・そういう「時}が
今この時代、
夜明けとして来ていると思います。
モウすぐ、少なくとも
”もの”に取り付かれて催眠状態のようになっている社会が
少しずつ覚醒を始める
もう自分達は十分物が足りていることに目覚め、そして
その次の事としていかに
「心を満たしていくか・・・」
自分の心が満たされるのは”モノ”ではなく
”こと”であり
さらに”こと”を媒介にした世界を
わたし達は必要とするでしょう。
こととは情報であり抽象化された関係性であり
そしてアイデアであり、
それは一人一人の人間の”脳”のなかから生まれてきます。
それは究極的には
心と心の
交換です。
世界中で情報が交換され
心が交信され、
世界中の権力を飛び越えて情報が流れていく・・。
そんな時代がやってきます。
私はいま60歳ですが
この時代のどこまで一緒に行けるかわかりませんが、
この時代を迎えるにあたり、
大きな問題として
人間同士の関係をより健全で進歩的なものにするために
いかに自分の心を磨くか・・・。
そのとき冒頭の”自我”の中にあるネガティブな
情報=思い込みの修正が必要となるでしょう。
なぜ自分たちはそのようネガティブな情報、
怖れや怯えや不安や人間不信を思い込んだか・・。
思い込まされたか・・・?
ソシテどうしたら
この不要な思い込みたちを克服できるか・・。
そういったことがたくさんたくさん
検証されてくるとおもいす。
そのときには
冒頭のような認知科学
(脳科学と心理学を統合したもの)はもっと発展しているでしょうし、
人間が自分が思いこんだ世界からの解放により
一人一人がより自由にフレキシブルに自分を表現できる時代に
なっているでしょう。
ソシテやらなければならないこことは
みんなでシェアして一緒に生きる・・・という社会を作ること。
私は自分の心の問題を解き明かそうと
ほとんど半生を心のメカ二ズムを追求することに
費やしてきました。
専門知識の稀薄なただのオバサンですが、
とにかく
一人一人が自分と言う資源を
フル活用し可能性を
実体化するためには、
●自分のなかの不安やおそれや人間不信を克服し
●絶対的な自己肯定(ありのままに自分を受け入れる)
●他人に認知してもらうのではなく、
自分が自分を素晴らしい人間だと認知する。
●被害者意識に陥らず、逆境を引き受けるくらいの気概を持っていきる。
受身では何も解決しません。
●自分の中の思いこみや、既成観念のブレーキをはずし
無心に、夢中に生きることが
やがてその人のポテンシャルを引き出します。
●迷わず、疑わず自分自身を突き進む。
●人間はそもそもトラブルがあるのが当たり前
揉め事や争があることがあたりまえなんです。どうってことありません。
●ただドンナ人も一生懸命生きていること、
ドンナ人も苦しいところを生きていること
自分だけではないことを肝に銘じておくこと。
●ソシテすべての答えは自分の中にあり、
生きぬくプロセスの中から生まれる。
(他人や宗教や占いやその他に依存しても
何も解決しません・・・。)
●自分こそ宝の山なのです。
まだまだたくさんあると思いますが、
とりあえず今日はここまでに
します。