すべてを獲得して・・・・。 |
河瀬直美さんのインタヴューを見た。
幼い時に両親が離婚し
祖母の妹という親戚のオバサンンに預けられ
育てられた彼女は
自分の映画の底流は
家族を喪失し深い孤独のなかで
失った自分の土台を取り戻すことであると言うような事を
話していました。
※(この自分の土台というのは、私が感じてそう思った言葉です)
彼女の話を聞きながら
彼女は家族がないというところに
自分の根拠を失ってしまったが
私はその逆に
家族がわたしを呑み込んで
その結果、自分の核を造れなかった・・と
思いました。
親の過保護と過干渉で、
常に親の指示命令と監視下に置かれた
私は
自分が好きなもの、
嫌いなものさえ
親が決めてしまうと言う
自己喪失の状態だったと思います。
その中で自分に沸き起こる嫌悪感や
憎しみや差別意識、ソシテ
自分以外の人間に対する敵意は
妙にリアリティアがあり
今から考えると大変ゆがんだ自我だったと
思います。
無理もないけど・・・。
いまだにその余韻が体の中に巣くっていて
それに私が悩まされる・・・。
しかし逆にその喪失感があるからこそ
私の脳はものの本質的な質感を
極めて行ったのかも知れません。
表面的な奇麗事や
偽善に対して
NO・・という違和感がわき、
それは時に不信感や否定意識にもなりましたが、
でも自分が感じえる事をごまかせない
貴重な自分の本心でもありましたから・・・ね。
物事と言うのは
すべて表裏があり
奥行きがあり
さまざまな彩や綾があり
そこら辺を
確定せず、固定せず、
混沌のまま
放り投げて見ているほうが
色々よく見えてくる・・。
河瀬さんの言葉を聴いていると
やはり若さを感じましたねえー!
まだまだ人間に対するまなざしに
暖かい温度がある。
少なくともわたしよりか・・・。
私のほうはもっと醒めて,冷めて
人間を見ているから・・・。
やっぱトシだもんね。
まあ極言すると
人間の思い・・とは、
最初からなかったもの・・が
あるように錯覚しただけかなあーと
思います。
残りの人生は
錯覚したものを
直視し
捨てていこうと思っている。
その、
そういうことの先には
喪失したと思ったものは実は
喪失しておらず、
すべてが零という
自分の始まりに収斂していくのだと
思います。
それは
自分が失ったものなどは
なにもなく
またすべてを獲得して
人は生きる・・・ということだと
思います。
醒めきった中でそこを実感したときに
きっと私の中に本物の人間へ対する連帯感が
沸くのカナー・・と・・・。
なんだか禅問答のようになりましたが、
そういうことです。