死から照り返す・・・。 |
ほんとうに理想的な死に方です。
私たちにもやがて終わりがきます。
その時にはコロリと死にたいというのが
私の希望です。
心のどこかにいつも死のことを
考えています。
それは死を恐れるということではなく、
死から照りかえして
生を考えると言うことです。
死から照り返された時
私自身の執着や欲が
とても小さなこと・・のように
思えます。
死がおとづれば、
その前に私たちの
なんと無力なことか・・・。
誕生して以来のアレやコレが
一切無に帰してゆきます。
それはすべての人間が
死の前に平等であり
すべての人間が
たとえどのように生きようとも
大気の元素に帰ってゆく時です。
私たちは
焼き場の煙突から煙になって
空へ帰って
行きます。
人間が生きるという事を
どのように照らし出すか・・。
いっさいの先入観を捨てて考えます。
そこには
誕生から死へいたるプロセス(物語り)が
あるのみです。
幸福な人生も
名誉ある人生も
悲壮な人生も
極悪の人生も
残酷な人生も
すべて。。。が
”生命の”保全ということに
集約されて行きます。
誕生と生は
すべて”死”に収斂していきます。
ドンナ人間も生きる一瞬一瞬を
自分の生命の保全を第一優先にして
生きているはずなんです。
たとえ犯罪を起したり
心を病んだりしても
人間の脳はかたときも、
自分の生きる事から離れられない・・・。
脳はいつもそういう風に
働いているはずなんです。
脳は常にその人間を
"生かそう”と
働いているはずなんです。
私にとって
良い生き方とか
悪い生き方とかの選別はアリマセン。
生きることは不条理なんです。
でも言っておきますが、
合理の中の不条理です。
自分のまいたタネの刈り取りです・・が
時に力尽きます。
それでも
ただ
願うべくは
よりよく生きて欲しい・・・。
自分を大切に
生かしてほしい・・といことで。
人間は
それぞれの宿命の”にがさ”を背負って
生きています。
誰もが・・です。
親からわたされたバトンをもって
走るしかないのです・・・。
でも
でもね、
できたら
親よりもっと
自分を幸福にするべく
走ってこそ
人間の進化があります。
次のバトンへの義務です。
苦しみながら
痛みながら
人間が生きているということを
いつか
誰もが理解できる日が来るように
祈っています。
わたしも
残り少なくなってきました。
では、
イタリアに行ってきます。
ご迷惑でしたらお赦しください。
自分が日頃から考えていることですが
人は一体、何のために生きているのでしょうか?
人はどこから来て
何のために生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
神の存在、愛とは何か、生きる意味は何か、死とは何かな
どの問題などについて、ブログで分かりやすく聖書から福音
を書き綴っています。ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
(聖書のことば)
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところ
に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
(マタイの福音書11:28)。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛
している。」(イザヤ書43:4)。
★私のブログから----------。
「生きる目的は一体何か」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/m/200705
「人生の目的と意味は何か」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/d/20060519
良かったらそちらも見てください。脳科学は茂木健一郎さんの本がお勧めです。
今 聖書 聖書に関する本(Aー4で500枚)の整理を行っています
現在 うつ病で時々死にたくくなることがよくあります
自分の人生を自分で終わりにすることは人間にとって最大の罪である
いいますが