ミケランジェロ 最後の審判 |
バチカン、システィーナ礼拝堂にある
ミケランジェロの
「最後の審判」です。
写真中央が審判を下す、
イエスキリストです。
ことわっておきますが、
人間が神から裁かれることは
アリマセン。
この小さなお堂にはいっいたとき
私たちはこの天井画の凄さに
圧倒されました。
大勢の人がひしめいてしたせいで
息苦しいのもありましたが
それよりも
この天井画の権威で
人間を支配しようとする
その毒気に
ヘキヘキしたのです。
なぜこうまでも
人間に恐怖、脅威を
与えねばならなかったのか。
イエスキリストは
旧約の掟で
がんじがらめだった人々を
解放しようと
したのに・・。
少なくとも当時のイエスの教えは
平等で
最下層の弱い人々
差別され
侮蔑を受けている
収税人や売春婦そして
病に冒されている人々に寄り添っていました。
ソシテ思い悩むなといいます。
空の鳥は種蒔せず
刈り取りもしないのに
ちゃあんと生きているではないか・・。と
悩まないでおおらかに
生きなさいよーって・・。
神が与えた生きる力を信じて
せいいっぱい生きなさい。
神様はちゃんとみているよ・・と
有名な山頂の垂訓
・貧しいものは幸いなり・・と
貴方達のそばでチャーンと
見守っているよ・・・と
愛情に溢れています。
なのに。。。
何時から間違えたのでしょうか
イエスは”裁くな”といったはずなのに
いつの間にか
強権をふるい最後の審判をしている・・。
アホ・・かっ!
みーんな人間の弱さからの
ことですね。
自分を信じられないものは
他人など
とうてい信じられない。
そういうヤツが
醜いこぜりあいをする。
新約聖書は
イエスのキラキラした言葉で
いろんな人間の深層が語られます。
驚くほど真理をついているところもあり、
私にとっても
さまざまな気づきを与えてくれます。
始めて新約聖書を読んだときは
心が洗われて
おんおん泣きましたヨ!
人間にたいして
こんなにやさしいイエスが
人間を裁くはずがない。
又ドンナ人間も
他人にははかり知れない、
苦しみと不安の中を
生きているのですから
神がそれをわからないはずがないじゃあー
ありませんか。
最後の審判なんて
愚かなる人間のしわざです。
神を信じていないヤツに限って
神、神、と
言わずにはいられなーい。
システーィナ礼拝堂から
サンピエトロ寺院へ入ったとたん
ほっと
安らぎがきました。
こうでなくっちゃー!
何時の世にか
人間みんなが
安心して生きれるように
神様だってきっと
そうなるように
望んでいると思いますよ。
そうなりますように・・。