”今”を生きる。 |
ひろさちやさんによると
釈迦の教えには
浄土や地獄については
一切説いていないそうです。
むしろ
過ぎた過去や未来のことを
アレコレ考えるのは
やめなさい。
見えない過去や
未来を気にする前に
今、
この時を大切にして生きるのです。・・・と
説いているそうだ・・。
なるほど
やっぱりそうか・・・。
私のカウンセリングの経験から言っても
自分の過去をつつくのは自分で
他人ではないし
自分の未来をおどすのも
自分で
他人ではない・・・。
前にも書いたが、
人間は
常に自分の内面とのみ
向き合って生きている・・・。
つまり
鏡のなかの世界を生きている・・。
平たく言うと
自分の中のモウ一人の自分が
客観的に自分を見て
他人から
こういう風に
思われていないか
或いは
こういう風に
思われたい・・・という風に
自分の姿(生き方)を
決めている。
そこでいう他人とは
その時代の
世間的価値判断で
極めて曖昧な
集団の仮想社会です。
つまり
人間の欲や煩悩が入り混じった世界で
決して本質なものではありません。
人間それぞれが
自分を取り囲む外部的世界に
自我が反応して
お互いが反応しあい
利害を錯綜させながら
合同の仮想をしている・・という
現象です。
ただひとは
命の保全を図るために
そういう仮想社会というか
幻想社会を
共有しながら
生きています。
その人が生きている環境や
社会情勢のなかで
自分の命を全うするために
反応し
選択し決断し
適応することを
瞬間瞬間
人間は
行っているのです。
だから
すべては
”今"
に収斂していき
過去も
未来も
”今の自分がどうあるか”ということに
すべてが
かかって来るのです。
極論すれば
”今の自分がどれほど・・・であるか”という事が
自分の過去や未来を価値付けてしまうのです。
たとえば今の自分を不幸だと思っている人は
過去の幸福も肯定できず
ゆえに未来も不幸におもえる。
しかし今の自分が充実している人は
過去のことも今の自分になるために
必要だという総括ができる。
つまり自分の存在のありようを
どういう風に意味づけていくかは
すべて
じぶんです。
だから
過去にも引きづられず
未来にも脅かされず
"今”をどういきるか・・・。
よけいな事をくよくよ悩まず
未来の事をあれこれ心配せず
"今”を
精一杯生きる・・。
これで
いいのです。
お釈迦様は
よくわかってらっしゃいマス・・・。
すべては
自分ではじまり自分で閉じている世界を
ひとは
生きている。
このことを理解するのは
なかなか難しいことですが・・。
まあ
あと50年後ぐらいには
理解されているかも
しれませんねえー!