2008年 01月 29日
どうしてこんなにワイエスが・・・。 |
どうしてこんなにワイエスがすきなんか。。。
戦後すぐに生まれたわたしのまわりには
ワイエスのモチーフに出てくる人々と重なる風景が
たくさんありました。
それは差別を受けいている黒人や
インディアン、
そしてプアーホワイトと呼ばれる白人でも
ありませんが、
私の家は
焼け残ったバラックのようなものだったし
ほとんどの人がその日暮らしの中で
生きていたと思います。
飛びぬけて金持ちなんかいなく
みんな貧乏だったし
粗末なものを着ていた。
でも
今にはない開放感があったかもしれない。
子供達のほとんどは
汚れた服ではだしに下駄かズックを吐いていて
洟をたらした子が袖でそれを拭くので
袖がテカテカに光っていた。
校舎のたりない学校は
朝と午後の2部で
学校が終わるといっせいに
子供達はあそびだし
夕暮れ日が落ちて暗くなってから
カーエロ・・と帰っていった。
暮らしは不安定だったが
底に流れていたものは
みんなどっちも、こっちも、
たいしたちがいは
ナニもにない・・という
安心感や
底まで落ちた暮らしが
案外気楽で
楽しかったのかもしれない・・。
贅沢なものも
富をきそうこともない
貧乏なくらしのなかんで
私自身
自分が知らなうちになにか
たいせつなものを
育てていたかもしれない。
ひとの中の一番核になるもの
一番美しいもの・・はなにかを・・。
ワイエスの絵を見るたびに沸き起こってくる郷愁や
共感は
私の原点かもしれません。
凡庸に過ぎる日々を淡々と生きる・・。
今の私が忘れてしまっている
風のように
空気のように
自我を封印し、
悲しみを封印し
日々を受け入れて生きるひとびとへの
深い愛情を感じます。
戦後すぐに生まれたわたしのまわりには
ワイエスのモチーフに出てくる人々と重なる風景が
たくさんありました。
それは差別を受けいている黒人や
インディアン、
そしてプアーホワイトと呼ばれる白人でも
ありませんが、
私の家は
焼け残ったバラックのようなものだったし
ほとんどの人がその日暮らしの中で
生きていたと思います。
飛びぬけて金持ちなんかいなく
みんな貧乏だったし
粗末なものを着ていた。
でも
今にはない開放感があったかもしれない。
子供達のほとんどは
汚れた服ではだしに下駄かズックを吐いていて
洟をたらした子が袖でそれを拭くので
袖がテカテカに光っていた。
校舎のたりない学校は
朝と午後の2部で
学校が終わるといっせいに
子供達はあそびだし
夕暮れ日が落ちて暗くなってから
カーエロ・・と帰っていった。
暮らしは不安定だったが
底に流れていたものは
みんなどっちも、こっちも、
たいしたちがいは
ナニもにない・・という
安心感や
底まで落ちた暮らしが
案外気楽で
楽しかったのかもしれない・・。
贅沢なものも
富をきそうこともない
貧乏なくらしのなかんで
私自身
自分が知らなうちになにか
たいせつなものを
育てていたかもしれない。
ひとの中の一番核になるもの
一番美しいもの・・はなにかを・・。
ワイエスの絵を見るたびに沸き起こってくる郷愁や
共感は
私の原点かもしれません。
凡庸に過ぎる日々を淡々と生きる・・。
今の私が忘れてしまっている
風のように
空気のように
自我を封印し、
悲しみを封印し
日々を受け入れて生きるひとびとへの
深い愛情を感じます。
by denshinbashira
| 2008-01-29 00:01
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