平成日本・ルネッサンス! |
この不安の正体はなにか極めてやろうと思い、
考える。
もともと生命とは
その生命を活動させる為に
潜在的な自信・・・生きている平常的な意識と
潜在的不安・・・生命危機を感知する能力・・・で
支えられ、エネルギーが循環している。
そうは言っても
今日の不安のなかに何かの要素があるはずだからと
分析しました。
思い当たるとしたら
今取り組んでいる「加茂縞織・洋服」の販売が
未知であることに対する不安・・。
自分が直面してる現実の不安さが
その原因のひとつでしょう。
加茂縞の洋服を買ってもらには、
どうしたらいいか・・?
モノが売れなくなった今という時代で
どうしたらモノを買ってもらうことが
できるのだろう・・・・・zzzz!
そう考えているうちに
ふっと
この今の暗い
不安が蔓延している社会の中で
人はものを買いたいとは思わないだろうし
モノを買うというのは
エネルギーが必要ですから。
それはただ
生活にひつようなモノが
蔓延し飽和状態だから
買う必然が少なった・・というのだけでは
なさそうである。
この社会に満ちみちている
心理不安も大きく影を落としてる・・と思う。
未来に対する希望が
稀薄で、しかも
そのことを突破していく
能力もエネルギーも
行き詰まり状態である。
微かに見えているのは
ウエブ社会の可能性で・・・。
ではどうしたら
今の社会は元気を
取り戻せるのだろうか・・・?
と
思ううちに
アートのことが浮かんできた。
先日購入した播磨みどりさんのドローイングは
A4の紙にえんぴつで
人物らしきものが
途切れ途切れのかすかな線で
おぼろげに描かれており・・、かつ
顔の部分は破りとられていた・・。
コレこそ今の日本人の原型だと思い
購入した・・。
アートの役割のひとつは
こういう風に
同時代の人間が
顔を背けて見ないふりをしている現実を
メスで開いて暴いて見せる。
もうひとつの役割は
アートが持つエネルギーを
シェアして人々は夢を見、
元気を取り戻す。
どちらかというと
日本人は後者のほうばかりに向いていて
前者のようなアートには見向きもしない・・。
しかしほんとうはね
空疎な夢ばかり見ても
仕方がないんだよ。
まずは
背筋が凍るほどの現実を
よーく見極めてから
そこを起点に
夢を描いていかないと・・・ね。
モノが売れないのは
前者のような絶望的な現実があるからで、
モノが」売れ出すのは
そこから脱出して
現実にエネルギーが流れ出すときだ。
では
どうしたら
そこへとダッシュできるか・・・?
その答えのひとつに
私は伝統・・・日本の伝統を生き抜いてきたモノ、コト・・が
あるように思います。
言っておきますが
コレは
答えの中の
「ひとつ」でありしか
ありませんよ・・。
伝統(過去)とは・・・?
今生き残っている伝統的なモノ、コトの中には
生き延びてきた「力」があるからだと
思うのです。
「ちから」の秘密は
なんなのか・・・コレも
考察のひとつとして有効のように
思います。
もしかしたら
自分達が関係するコトやモノの伝統文化を
スコシ洗い直して見ると
おそらくそこには
安易に西洋文化や外来の勢力に迎合して
アイデンティテーを
失っている日本の"今”が見えて来るかも
しれません。
日本人が
”日本人のアイデンティてぃー”と
"自分自身のアイデンティティー”を
取り戻すには
この2000年の歴史と
ソシテ文化と風土のなかで築いてきた”価値”
いかに日本人らしい
日本の独自性を
取り戻すか・・・。
それはもしかしたら
衣、食、住を基盤に
すべての文化のルネッサンスが必要かもしれません。
今回の中国餃子の問題も
日本の自給率の問題も
少なくとも工業製品化した”食べもの”を
パック詰めにして過剰にに売る・・・。
その結果、残飯とごみを大量に出している現実の
おおきな洗い直しをしないと
自給率なんて減るばかりでしょう。
毎日捨てられる学校給食の残飯は
どこかの貧しい国の一日分だとか
読んだことがあります。
話がだんだんそれてきましたが
とにもかくにも
日本の国が
活性化し
エネルギーに溢れる時代が来るように
なんとかしたいものです。