とにかく・生きる。 |
一生懸命生きている・・・と書いたことに対して
いや
一生懸命いきていないヤツだっている・・と
反論を頂いた。
なるほど
そういうやつだっているかもしれない。
しかし私は人間というのは
おそらく3歳くらいまでの
個人的なデーターをベースにして
生きているから
その人間が自分を意識できない
そのときに
絶対的全否定や
自我をへし折られる挫折感や
両親の強権的心理支配を受けた人間は
残念ながら
人生に対して
建設的になれない・・と思います。
確かに
怠け者で
自堕落で
こすからく生きているかも
しれないが・・・。
人生脚本の台本が
そういう風にしか
書かれていなかったら
その人もそこで
懸命に自分ともみ合いながら生きていると
思います。
昨日書いたように
自我をベットりどこかに塗りつけながらも、
また廻りの人間を振りまわしてばかり
いるかもしれませんけど、
それでも・・。
前にも書きましたが
人間の”脳はつねに未来に
ベクトルを向けています。
どんな人間も
明日こそは
今よりマシに生きようと
無意識に思っているはずです。
極論すれば
人間は常に
"生きる恐怖”と
闘っている・・と
おもいます。
生まれたら次は生きるしかない・・。
生まれたらもう
前に進むしかない・・・。
そういうなかで
人生脚本が
不備だらけの人間こそ
生きることの大変さと闘っていると
思います。
積み木崩しのように
自分の中の
否定的プログラムと格闘して
積んでも、積んでも
また崩れてしまう人生もあるでしょう。
表面的にみたら
前向きで建設的な生き方と
怠け者でずるくて
自堕落な生き方という風に
段差が見えますが、
生きるということとの格闘という点では
おそらくみんな懸命に自分と戦っていると思いますよ。
闘いつかれて無気力になったり
もう力尽きて
どうでもよくなったり・・いろいろあるでしょう。
でも
でもそれでも
今日も
明日も
生きなければならないのです。
神の視点から見れば
そういう
色々な人間達のさまざまな
生き様に
公平なる
まなざしが注がれていると
私は
思います。
とにかく
生きてる・・。
それでいいと
思います。
ソシテ
できたら
そういう自分から
解放される
そうなれば
最高ですね。