村上ショージの名(迷)人芸! |
岩尾のことを
なんかヘンタイのような男・・くらいにしか
思っていませんでした(笑い)!
あのキッス事件時などは
わーキモイと
ホントに相手に同情しましたから・・。
でもナマ岩尾はステキでしたねえー!
なにか
禅僧のような風格がありました。
ナマの中田カウス・ボタンは
もちろんのこと
コメディー№1の坂田師匠も
チッチキチーの大木こだまひびきも
ソシテ今回のブラック・マヨネーズも
ナマの漫才は
おもしろーてオモシローて、ソシテ
中身が濃くて
とてもテレビなんかの比では
ありませんでした。
一つ一つ練って絞り出された言葉が
舞台で火花をちらします。
その言葉と呼吸を
お客の呼吸やエネルギーの波動に
同調させていくには
相当の練習を積み上げないと
お客の呼吸とズレたとたんに
しらけます。
お互いの漫才師のエネルギーが
ドンドン絡まって一体化して
その渦の中に客を
引きずりむ。
自分達が気を抜いたとたんに
さっと潮が弾くように
笑いがなくなる。
やはり"芸”の技の世界でした。
今回つくづく思ったのは、
テレビではこういう風に
立体的に漫才芸が伝わることはない・・。
テレビはデジタルに分きざみ
時間を売るせかいです。
そこで必要なことは
じっくりと芸と向き合うことではなく
むしろ表面的な軽薄な部分を切り売りして
瞬歓芸を
連続させる。
当然時間を経ながら深化していく
漫才の話術芸などは伝わらず
逆に
芸人が薄っぺらに消耗されていくように
思います。
まあテレビというものは
おしなべて
そういう軽薄的消耗の世界ですが・・・。
私が芸人だったら
テレビには出ないでしょう。
寄席に来て、
劇場に来て、
じっくり聞いてほしい、見てほしい・・と
思います。
その点で、
村上ショージなどは
あの芸がテレビでは通用しないことで
救われているかも知れません。
のんびりと
キャベツ切りながら
うどんこねながら
特に芸をするでなく
時間を稼ぎながら
どうしようもないアホの自分を晒しつづける
その図太さ、とダメさをみて
客が笑ってる。
客の優越感が微妙にくすぐられているが
それを意識させず
どーってメリハリもないまま
ズルズルと自分のテリトリーの中へ
丸め込んでいく・・。
彼はほんとうは
油断ももすきもない
抜け目のない人間です・・けど(笑い)
彼を見ていると
つくづくお笑いというのは
本質は”笑わす”ことがではなく
”時間の構造化”だなあーと思います。
つまり
退屈せずに
自分の欲しい心の満足を得る時間を買う!
村上ショージの芸などはその典型です。
そこを読み違えて
笑いを取ろうと
やっきになっている芸人なんかに比べると
いかに彼が
笑いの本質をわきまえた凄腕かが
わかるでしょう。
お客は”笑い”=自分がスキを見せていい時間、を買い
優越を味わい
自己の自我の損傷を回復していく。
その
時間の流れを熟知している
ショージ君は
とりわけ苦労することもなく
頑張ることもなく
客が自己回復する時間を
のたり、のたりと
売っていく・・。
コレもまた
名人(迷人)芸
でした。