時空を超えて |
20年くらい前だと思う。
うとうと昼寝の夢のなかに二体の円盤のようなものが飛んできた。
それはマーブル色の円盤で鈴のような音を出しながら
くるくる回っていた。
今まで聴いたこともないような
涼やかで美しい音色の音だった。
えもいわれない心地よい音色にうっとりしていたら
その映像はスーッときえて目がさめた。
この世のものとは思えない
透き通るような鉦の音でした。
以来もう一度あの音を聞きたいといろんな鉦や鈴を探したが
やっとチベット仏教に使う鉦の音が少し近いような気がしています。
今日銀座の奥野ビルにあるAPSギャラリーで
松本秋則氏のインスタレーションを見ました
やはりあのときのように音が透き通っていきました。
冒頭写真のように
鳥かごの中で翼をつけた鈴たち(ハミングバード)が
風に吹かれてランダムに鳴る音は
まるで夏の夕暮れの水田の上を走る風のように
涼やかで
この世の肉の重さ(存在の重さ)から、感情から、
解き放たれて無機の世界に軽やかに鳴る
精神の振動のようでした。
先日次の時代はきっと
モノ(マテリアル】からの解放で
それを具現化できるのはアーティストの仕事だと書きました。
アーティストはモノ(mono)の奥に広がる世界をどのように
表現するのか・・と考えていたところ、
意外に早くも今日
松本秋則氏の作品に見事に展開されてありました。
竹の鳥かごの中で
羽と鈴だけになった物体は
よけいなものを一切身につけず
風に吹かれてかろみのきわで鈴が鳴ります。
竹のかごはその物体(人間を含む)ドメインで
中の翼と鈴こそは最もささやかなる魂でしょう。
それは外の風や光に反応して
一切の誇示や喧騒からも解放されて
鳴ったり、静まったり
煩悩から解き放たれた未来の私の姿でも
ありました。
解き放たれた
精神の自由さは
このように獲得されるのだろうか・・と
思います。
無機の世界でありながら
精神の集中と本質のみになった快楽は
自我から解放されて普遍性を放ちます。
自我の体液を放出するばかりに囚われている昨今のアートの中で
久しぶりに
心地のよい作家の仕事にあいました。
造形は羽や鈴やベルでありながら
その表現の骨格には
紛れもなく日本的な無欲の”禅”や
流れる水のようなすがすがしさを感じます。
西洋的な自我の誇示や支配欲などが微塵もない
抽象化され尽くした人間の世界は
もしかしたら竜安寺の石庭の想念のように
時空を超えて点のように繋がっていく
日本人の辿り着きたい世界かもしれません。
どうぞよかったら見に行ってください。
見