母の葬式。 |
うちの父ちゃんや弟の関係で
父とはまったく関係のない
大企業の関係者の花輪と弔電がたくさん来た。
それらに圧倒されて
本当は父の身の回りで交流のあった
ささやかな人たちが少しちぢ込んでいた気がして
そのことがトテモ心残りでした。
父を支えてくれ言葉を交わし
何気ない日々の暮らしをともにした人たちこそ
私には大切で
そのことを伝えられなかった悔しさがありました。
今回母の葬儀は家族と近くにいる親戚だけでやることにし、
父ちゃんの会社関係も弟のそれも
一切ことわりました。
そしてお香典もいっさい頂かないことに
みんなで決めました。
父もほんとうは遺言でそう書いていたのですが・・・。
ただほんとうにいつもおばあちゃんの面倒を見てくれた
ヘルパーさんと、家族同様にいろいろ困ったときに助けてくれた
父ちゃんの会社の人、この二人だけを特別に
ばあちゃんとのお別れに来てもらいました。
通夜はみんなで花を献花し
私が子供のころからうちに出入りし
うちの両親が親代わりのように親しくしていたいとこが
ばあちゃんへの弔辞を読み
ハーモニカで懐かしい唱歌をたくさん吹いてくれました。
そのことがなんと嬉しかったことか。
胸がいっぱいになりました。
それで終わり、その後は
松郷の甚五郎へ行って
みなでうどんを食べました。
通夜は私と息子だけが泊まり、
ばあちゃんと最後の夜をすごしました。
告別式も同様に家族と親戚だけ
ただその日は
愛ちゃんがヴァイオリンを弾いて
おばあちゃんへの鎮魂をしました。
会場にはシンセサイダーを引いてくれるお嬢さんがいて
母が好きだったクラシックをたくさん弾いてくれ
もう私は言う事はありません。
その後みんなでお棺に花をいっぱい詰めて
送り出しました。
みんなが階下に降りていなくなり
お棺と私と数人だけが傍に残ったとき
私は、シャンソンのラビアン・ローズを大声で歌いました。
母がうちに引き取られて来た歳の暮れ私は
友人とコンサートをしました。
そのとき毎日のように演目のシャンソンを練習しており
傍で母が聞いていてよく拍手をくれました。
そのことを思いだしたからです。
母と私しか知らないことです。
きわめて異例なお葬式だったと思います。けれど
きわめて
本人のためとまた本人を囲んだ人たちの
濃密なお別れが出来たと思います。
きっときっと
母は満足して
旅立ってくれたと
思います。