失速する才能・・・。 |
そのことについてはもう少し整理してから
書きたいおもいます。
ただ
やっぱりどうも
あの「どですかでん」のあたりが黒澤明のおおきな境目で
その前とあとでは
翼を折られたように彼が失速している。
依然書いた宮沢賢治も
私の考えでは
彼が世間へ自己還元しようとし始めた
「羅須地人協会」のあたり、から
賢治の中に地すべりがおきてくる。
死後発見された
「アメニモマケズ」は
失速し翼をもぎ取られた天才の嗚咽のように
私には思えます。
黒澤も賢治も
世間など眼中なく
ただ奔放に自分を展開して作った作品は
エネルギーあふれ
攻撃力が満ち
どんどん新しい天地をキリ開いて行きます。
常識から逸脱し
自由奔放に
そして豪快に
生きることを堪能させている作品です。
賢治のことは又別に述べるとして
黒澤監督は稀代の癇癪もち、短気で激情家であり
また徹底した凝り性でもあったらしいです。
それは世間的常識をはるかに逸脱しており
おそらく周りにいる人間は
タイヘンだったと思いますが、それだからこそ
あのオモロイ映画の数々が生まれたと思います。
私は最近とみにそう思うのですが
作品と呼ばれるものの中に
奔放性と攻撃性が欠落したものは
ちっとも
オモロクナイ!
いくら技術が優れていても
ツマラナイ・・と
思います。
溢れ出る激情のエネルギーこそ
その中に封じ込められたさまざまなる
美のタネが放出されるもので
かしこく
納まったモノなどは
魂を抜き取られた
抜け殻・・のように思います。
「どですかでん」以後の黒澤作品は
まさにそういう
穏便で普通で
観念的な抜け殻のように思います。
黒澤がなぜそうなったかは
もう少し
自分の中を整理して書こうとおもいます。
とりあえず日本の社会独特の文化である
(共依存によって成り立つ)圧倒的多数の世間的無難な人間に同調したとき
才能が墜落していくことだけは
確かなようです。

