黒澤監督の病理最終考 |
ひとつだけどうしてもひっかかったことがある。
それは最後の場面で志村喬の侍のリーダーが
「勝ったのは百姓で、自分らではない」という場面です。
そのことが容易に理解できず、父に問いただしたら
百姓に雇われて野武士と戦い勝利したが、侍は4名戦死し
百姓は自分たちの平安と勝利を手に入れた。
百姓は身分低く、軽蔑されて生きていても、
ほんとうの利を手に入れたのは百姓であって
自分たちは利用されたに過ぎない・・ということだと
教えられました。
つまり一番虐げられているものが一番強いんだ・・と
いうようなことだったと
思います。
その後、リバイバルで何度かこの映画を見直しましたが、やはり
あの最後のオチにはずっとひっかかっていました。
そして今回「どですかでん」見て
ああーやっぱり・・と合点がいきました。
どうも黒澤の中には
大衆コンプレックスというか
プロレタリアコンプレックスみたいなものが
あるなあー・・と思うのです。
ちょうど黒澤の若い頃には
プロレタリア文学や演劇や映画も盛んで、
いわゆる最下層のド貧民というか
そういう暗くて深刻な人間の現実をえぐりだして
絶望してみせるのが
文学でも演劇でも
映画でも
芸術的で高等だというような風潮があったようなきがします。
とくに恵まれた階層の出身者には
お前達なんかに
俺たち階層で抑圧されてきた人間の気持ちが
わかるものか・・という逆優越感、
その反対の
当時の高学歴の若者やインテリの中で
そういう風な自分たちの存在に対する後ろめたさなど・・が
あったように思います。
まあ、宮沢賢治が農民達にいだいていたような
うしろめたさのようなものです。
今の若い人には想像もつかないと思いますが、
私が子供の頃には実際に
「どですかでん」のような暮らしをしているひとは
たくさんいました。
ごくありふれた場面で、
共同水道にたむろして洗濯するオバチャンたちや
ニコヨンと呼ばれる道路工事の人夫
路上で博打を打っている男や
パンパンと呼ばれる町の女など
家もバラックで
主婦達は家の外にコンロを出して煮炊きしていました。
そんな中から
すこずづ日本の経済は立ち上がってたのですが
まだまだ大衆の多くは貧乏で
階級の差が歴然とありました。
のっぱらにバラックをたてて住んでいる家の子の中には
学校に行けない子もおり、
貧乏ということがまだまだ深刻でした。
工場で働く人も
白襟(ホワイトカラー)の事務者と
作業服(ブルーカラー)の労働者という風に
何となく差別があり、
そういう中から
労働運動やストライキや反政府運動などさまざまな
思想や運動が展開されていました。
社会的正義感の強いインテリの青年達は
労働運動や反政府運動に参加し
労働者と一体となって戦いました。
そんななかで
より現実の深刻さに近いほうが
娯楽性の強いものより
あたかも表現の質が高いような
思い込み的風潮があったように思います。
もし黒澤が自分の映画の通俗性や娯楽性に
満点の自身を持っていたら
あの「七人の侍」の最後をああいいう風に
締めくくらなかったのではないか・・なーと
思います。。が。
「黒澤明の精神病理」のなかでは
55歳に「赤ひげ」をとったあとから
トラブルが続くようになる。
米アブコ・エンバシー・プロとの合作映画
「暴走機関車」」の中止や
20世紀フォックスとの合作映画
「トラ・トラ・トラ」の映画監督解任など・・その頃から
精神の変調をきたし
61歳の時に自殺未遂をしたあと
てんかんであることが判明し
治療を受けたことによる変化ではないかと推測している。
治療をうけることにより、
作品が穏やかになり、
対立と葛藤の強烈なダイナミズムが失われてしまったので・・と
推測している。
私は「赤ひげ」以後になんらかのことが原因で
黒澤氏が自信を喪失し、
それまでの自己アイデンティティーに
改良を加えざるを得ないような
深層心理が発生してきたと
考えます。
そして多分それは
こっれまで述べてきた
黒澤監督の中に潜んいた
芸術コンプレックス。
芸術が
あたかも
非妥協的リアリズムの追求であり
大衆的娯楽性や通俗性をもったものは
芸術性が低下するような
世間的アカデミズム至上論に精神の弱さが
侵蝕されたのではないかなーと思います。
後になって自殺未遂を回顧しながら
「あれはね、自己嫌悪だったんだよ、
テレビとかそういうもの中にのめりこんでいく自分ってものが
急にいやになったんだ」と述べているらしいが、
そこには
ちらっと大衆娯楽や低俗性に対する嫌悪があるような
気がします。
もしかしたら心の隅のほうには
もっと肥大化した自己幻想があり、
いわゆる難解で芸術的と評価を受ける映画への野望が
あったかも知れません。
監督は映画を撮り終えたり、
シナリオを書き終えたりして疲労した後
落ち込むと、すぐ死にたくなったり、
神経衰弱になったりしてかなり
繊細な神経の人らしい。
それはあれほど豪胆な人物を描きながら
本人はいたって小心で神経質なひとだったのかなーと
思わせます。
まあ
それもてんかん性格の人の特徴かもしれませんが
あの名監督も
そういう自己葛藤の瀬戸際を歩いていたと思うと
ちよっと感動します。
それでも
黒澤監督の中に
”今”自分が為していることが
最大の自分らしいことなんだという
満点の自己肯定があったなら
自殺未遂も画風の変更も
無かったように思います。
それから「赤ひげ」後の映画不振、
つまりテレビの方に観客をとられたということに対して
気まぐれな大衆に嫌気が差したかもしれませんね。
でも,それでも
信頼して
自分の才能は
高等か高踏か知れないが
大衆のわけのなからない難解で
オモロクない映画を撮るより
痛快で颯爽として
ちょっと甘いかも知れないけど
さいごはスカッとする
そういう
大衆が喝采するような映画を作るのが
最高なんだと・・と
死ぬまでそこにいてくれたら
彼の才能は枯渇しなかったかもしれません。
ほんとうはどうなのか
私にもわかりませんが、
輝く星が消失し
墜落していくということを
考えさせられた
黒澤明監督の姿でした。
ああーおしいなあ・・と
つくづく思います。
この作品のベースにトルストイの「戦争と平和」を置いています。勝四郎の久蔵への「あなたは素晴らしい人です」という台詞は「戦争と平和」からのモロ引用ですし、他にも「戦争と平和」を意識してる部分が多々あります。そしてラストのあの台詞も「歴史を作るのは英雄ではなく名もない大衆なのだ」というトルストイの哲学をそのまま表現しただけです。
ちなみに、黒澤は侍が百姓たちに利用されただけと考えてたわけではない事は、予告篇を見ればわかると思います。
黒澤はこの映画のロケ撮影交渉や戦時中の農村への食料買出しなどでころんでも只では起きない「農民」のしたたかさについて、嫌というほど実体験から、農民達にはうしろめたさより、「まいったな」という感じでしょうか。
ちょうど勘兵衛が坊主頭をなでるように(笑)

