わたしを束ねないでください・・・。 |
富士山の麓で眠る父のところへ
入れてきました。
冬の寒さで道が凍結する前にということで
弟一家と私の家族で納骨しました。
人間にはいろんな生き方があり
両親のように世俗の風習から距離を置き
自分たちの生きかたを通して生きている人も
たくさんいると思います。
自分という言う意識が強ければ強いほど
自分の生き方と世俗との葛藤に置かれて
孤立しながらでもその生き方を通していくには
強い信念が必要です。
両親はほとんど世捨てびとのように
世間と自分を隔離して生きていましたが、
それでも
自分を通している楽しさがあったように思います。
極めて明確な自分をヒッさげて
生きぬいたと思います。
一昨日ふたりの青年と話しました。
その二人ともが、
自分流の生き方を模索し
自分らしく立とうと頑張っています。
二人とも世間から屹立しており、
タイヘンだと思います。でも
凛々しいです。
そのとき私の裡に浮かんだ詩があり
それをご紹介します。
以前にも書いたことがあると思います。
○
わたしを束ねないで 新川和江
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください。わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないで下さい わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目にはみえないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のあかりを知っている風
わたしを区切らないで
,や.いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
○
どんなひとのなかにも、
その人だけの風が吹き
そのひとだけの詩がながれ
無から生まれて
あえぎながら紡いだ日々の有が
また大きな無にかえっていく原理のなかで
生きています。
母の骨を埋めながら
そのはてしなく流れていく原理の根源に
わたしもいつか帰るのだという強烈な
覚醒があり、ほっとしました。
できるなら
この世のアレコレから解き放たれて
わが道をいきたいと
思います。

