2009年 02月 16日
マッチ売りの少女 |

マッチ売りの少女!
今日はちょっと難しい事を書こうと思います。
旨く書けるか解からないけど、
がんばって書きます。
アンデルセンの「マッチ売りの少女」という
本を読みました。
幼い頃読みましたが、昨日
原作に近い文で読み返しました。
貧しい少女が大晦日の晩に
はだしでマッチを売りますが
売れず、寒さに耐えかねて
売り物のマッチの火を灯します。
するとマッチの火が灯っている間だけ
少女は暖かい部屋で美味しいご馳走の光景や
やさしかったおばあさんの幻想を見ます。
やがてマッチはすべて使いきってしまい、
少女はそのまま息絶えてしまう・・・という
お話です。
私の母親は昨年の11月に亡くなりました。
それはとても寂しい死で
入院先の病院で誰に見取られることもなく
息を引き取りました。
病院に入院したときはもう閉眼状態で
意識の反応はなく、
母の危篤という状況を医師も看護人も
解からず?
末期医療の病院に入院して明け方
亡くなりました。
母の介護に関しては、
理想とは程遠く
死期を待つ人間にたいする、
介護の現状が、とても事務的な冷たいものであるという
現実を見せられました。
また、人が老い、死ぬという
動物としての末期また
脳が壊れるということの有り様を
冷徹に見ることが出きました。
いや
否応なく目にせざるをえなかったと、
いうほうが
あたっています。
そして母の死以来
私は表面は元気なつもりでしたが
人間が生きるということ・・と
死ぬということの厳しい実相を
突きつけられた衝撃というか
傷の深さに
いまだにケリをつけることが
できません。
マッチを売る少女の不幸と貧しさは
アンデルセンが生きた時代の極端な例としても
しかし、マッチの火が灯っている間だけ
幻想を垣間見るという話の向こうに
人間が実は自分の脳が描いた理想の現実を
幻想しながら生きているという話に
重なるものがあります。
私たちは脳が描く明日の姿に向かって
今日を生き
幻想か現実か解からない臨界を
さまよいます。
そういう事が
理解できない人々は
幻想を現実と思い込み
現実と幻想が逆転したねじれのなかで
さまよいます。
人の苦しみの多くは
この幻想が渦巻く世界でいきていることかも
しれません。
マッチ売りの少女の現実は
路上の凍てつく寒さと飢えと
孤独で
幻想で
暖かい暖炉の家庭と贅沢なご馳走と
そして
天国を夢見ます。
私は考えます。
どうしたら
救いがあるのか・・と。
でもマッチ一本の幻想でも
その幻想を見ないと
人間は生きれないかもしれない・・とも
思います。
ただひとつ
人が生きることは
本当に厳しいことで
それだけは
肝に銘じておこう。
そういう人間へのまなざしを
わすれないでおこうと
思っています。
by denshinbashira
| 2009-02-16 16:29
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