残念を払う・・・。 |
溜飲が下りた。
ほんとうにそうなんだよ!
出演者は、西部 邁、中谷巌、桜井よしこ、姜 尚中の各氏。
明治維新から始まった日本と,西洋アメリカの列強諸国との
関係において、日本が
この百年間、
彼らの世界侵略と植民地化の策謀のなかに巻き込まれ、
もみくちゃのされたものであったこと
そしてその末路の帰結として、
日本の現代があることを、
やっとテレビの中で聞くことができた。
つまりそういう深い視点から
日本の今をテレビという軽薄装置で語られるのを見たことがなく、
いつも欲求不満でありました。
明治以来の西洋コンプレックスの中で
ウカウカとお人よしに彼ら帝国主義の掌中に
入ってしまいましたねえ・・・日本は。
私たちの若き日、
あのベトナムが列強諸国に吸血鬼のようにズタズタされる現実を
つぶさに見せられたこと。
力をもって空からあられのように爆弾を落とす
アメリカの狂気に対して意義をとなえた声も
遠く自民党及び日本の大衆の盲目的なアメリカ追随に
かき消されてしまいました。
そのときのアメリカの姿は湾岸戦争や
イラク戦争そして今のイスラエルの傲慢な姿と
ちっとも変わりません。
そしてとどめはやっぱり
小泉さんかもしれませんね。
軽薄でした。
私達日本人は
ハゲタカがスコッチを飲みながら広げた世界地図の
アジアとアフリカを突っつきながら
どこをどういう風に分配するかなんてことを考えているとは
まさか思いもしませんでしたからねえ。
白人たちの世界観は
すべて自分達の正当性の所からのみ
世界を覗き、
この地球には
さまざまに文化をはぐくみ
その文明のなかで
独自のアイデンティテーを生きている人間達がいるのだということを
理解しようとしませんでした。
いや、理解したらヤバイ・・と彼らは確信犯でしょう・・・。
アフリカなんかはもうズタズタな分割とと搾取を受けましたから。
日本には
日本という枠組みのなかで、
いかに日本を成り立たせるかという
歴史的な叡智と努力があり、
日本独特の方法がありましたね。でも
それがこの百余年の西洋モノマネの中で
いっきに
上手の手から水が漏れていき
やがてすっからかんになろうとしています。
やっと今
日本が、日本人が何を失ってきたかが
ようやくはっきりと見えてきた。
ぎゃくに今
なにを取り戻し
なにを未来へと接合していかなければならないかを
考えるときです。
番組のなかでも語られたように
日本人はいつも外来を受け入れ
それを日本風にアレンジして
共存させて生きてきました。
縄文と弥生が相容れて生き延びたように
桜井さんが言うように天皇だって
そこには高麗帰化人(藤原氏)の血が
混入しています。
西洋のように
いっきに戦い、叩き潰しそして征服する
そこにある欲望が限りなく増幅し
その征服は限りなく続く・・というものではありません。
逆にいかに自分の欲望を捨て
自己をより簡素にするというその逆転の中に
自分の幸福を得ると考えてきた人々です。
”非所有の所有”というみごとな道理を産んで来た
民族です。
昨夜読んだ松岡正剛著『外は良寛』の中に
禅の背景となる"禅定”の歴史のなかで
つねに重視されてきたのは
「念を残さない」ということで
座禅しながらさなざなな自分の"残念”を払うと
いうことだそうです。
じっとすわり黙し
そこから何かをつかみ
何かを捨てる。
そういう静けさのなかに
私たちの文化と文明があったことを
思いだしてほしい。
つくづく、
わたしも、
コンナに疲弊した中でも
日本人のほんとうにステキさ表現してくれる
若い作家達の応援を頑張らねばと
思いました。
それぞれが自分の持ち場の中で
何を為すべきか、
しっかり考え
きっちりとやり遂げえること・・だと
おもいました。

