過保護と過剰サービス! |
今はレクサス(トヨタ)という新車に乗っているが
この車がやたら機能を細分化していて
イライラする。
ブレビスの乗り心地がよく
レクサスならもっと楽チンに乗れるかと
思ったら、とんでもない。
何をするにも
ワンツーくらいの手間ではなく、
やたらアチコチをいじくらないとだめで、
細かいところに目がいきすぎて(いわゆるマニヤックだけど)
全体がみえないという・・・まあ
なんともダメな車かと
こんな車、買うんじゃなかったと
怒りもこめてそう思います。
乗り心地は抜群なんですけど
ねえー・・・・。
特に過剰なセキュリティーサーヴィスには
うんざりで、
先日も運転していた父ちゃんが
ちょっとタバコを買いに降りて、
キーをもったままロックしないと
またいちいち安全サービスのメールがくるから・・と
(そうなんです、そういうメールが届くんです)
私にキーを渡して下車した。
そのときなにかの拍子に私が間違えて
車のロックをしたらしい、
もうー、ブーブークラクションが大声で鳴りだして止まらない。
どういうことかとビックらしてドアをあけたら止まった。
その後父ちゃんの携帯にトヨタから電話がかかり
事の顛末を説明してヤレヤレ・・。
要する駐車した車の中からロックをすると
中に子供が取り残されてリ・・とか何とかの
危険があるから
そういう自動システムになっているらしい。
なんか
やりすぎじゃない・・。
どうもこの国の最近は過保護というか
過干渉というか
やりすぎが多い。
そういう過剰保護の発想が
蔓延しているような気がする。
人間には自分でものごとに解決していく力がある。
失敗しながら経験をつんで熟していく。
そういうことを忘れてやたら
失敗する権利を奪われている。
本屋に行くと”脳を鍛える系”の本が
氾濫しているのに
コレじゃあー脳は衰退していくばかりです。
亡くなられた河合隼雄さんが書かれていたが
どうも日本は母系性社会で
いわゆるグレートマザーが傾向が強い。
グレートマザーは
子供を保護し慈しむが
その反面
子供を呑みこんでしまい、
その自立を阻害する。
そしてもうひとつ
とても大切なことは、
人間には誰でも自力で生きる生命力がある。
困難で、危うそうに見えても
その人間には渾身の生命力あり、
やたらと手をさしだしたり、助けては
いけない。
そうすることによって、
その人間の生きる力を弱くしてしまう。
突き放したり
手を出さず、
じーっと見ている・・という冷徹さの裏に
人間の生命力と
自立し成長するエネルギーがある・・ということに対する
徹底な信頼がある。
そういう父性的な力が弱まっている。
トヨタだけではない!
日本の社会全体の大人たちが或いは
社会の基軸になる思想や理念が
過剰防衛、過剰保護、そして
過剰な依存・・ぺっト依存も含めて
自力で生きるという
自信を喪失しているように
思います。
情報過多と利便性の追求と引き換えに
どんどん人間力が衰えていく、
そんな危うさを感じます。
PS
どーも社会が感情的(女性的)になりすぎているように
思います。
男性がもっと自信を取りもどして欲しい。
父性の復権が必要です。