なぜ人間はなやんだり・・・・。 |
心の底に闇をもったりして苦しむのか・・というと
これは私の独断で,
直感的にそう思うだけなのですが、
そもそも動物として、
他の動物の命を喰らい生きるからで、
そのことは
私たちの先祖はその反対にまた
他の動物から喰らわれる危険と
同居しながら生きていたと
思います。
その痕跡が今も残っていて
自分を防御するために自分以外にたいする
否定や防衛のデーターを幼児期に身につけ
生存競争の真っ只中を
敵と戦いながら生き延びる・・・。
それが
他の動物に喰らわれる危険も薄くなったところで、
”生と死”が文学的な彩りをつけられて
語られだした。
ちょっと飛躍しすぎですかねえー・?
ソモソモは
命が生きて、死に、そしてその時間の中で
次の命(子孫)をつくる・・という
極めて単純なものが
色々な物語をもち、欲望がふくらみ
生きることが複雑化しすぎたゆえ、反対に
本能的な存在の不安が様々な意識に転換され
拡大されて私たちを悩ませている・・のではないか・・と
思います・・が?
生きるということに余裕ができて、
そのあいた時間を
埋めるために
人間は想念を催す・・のか、なあー?
しかしそれだけ複雑になって
悩み苦しんだ脳には
奥行きや深みが出てきて
味が出てくる。
悩まない人や
明るく元気な人は
話していても面白くない場合が多いです。
先日NHKで伊東四朗さんのインタビューをしていました
女性のアナウンサーが
深い話を
極めて一般的な返ししかできなくて
せっかくの話が薄められていましたから、
彼女のあたまは
逸脱したイメージに対応できない。
それだけの
深さとか多様性が
積まれていないということでしょう。
男性のアナウンサーのほうは
ボキャブラリーが豊かでした。
悩んだり、苦しんだりすることは
それだけ自分が直面していることで
そのたびに
脳はその回路が豊かになると
思います。
それだけのことは
あるんです。
生まれつきの条件がよくて
顔も容姿も綺麗で・無難・という人に
あまり中身のあるひとは少なく、
ブサイクだけど
劣等感のかたまりだけど・・
話すと、たくさんひき出しがある・・というひとのほうに
私は魅力を感じます。
まあーとにかく
基本は
いきてりゃあーいいんですヨ・・。
生きてるだけでも
たいしたことだと
思います。