バービーがキライな理由! |
どうして私は大人げなくも、
お笑い女芸人のバービーが嫌いなのかなあーと、
自分の投影について
ちょっと考えてみました。
いちばん嫌なのは
彼女が恋する女で恋が叶う女を
演じていること。
ここに私の嫉妬があります。
それとどうしても
倣岸そうなオバサンにみえて・・・笑い!
きっと彼女はそうではないと
思いますが・・。
ネタ的には彼女がおよそ、
そういうこととは縁遠いから・・(ごめんなさい)逆に
そのギャップで笑いを取ろろうとしていると
解かってますが・・。
わたしも若き日には
そういう恋愛経験がありますが、
それでも不思議に
自分が愛されている、或いは
愛されていたという実感があまりない。
逆に、そういうことは発情期の男女のことで、
担ってきた人生のほとんどは
家族を守り子供を育てる・・という生活と
現実の人間関係の中の苦労のほうが
格段で
自分のエネルイギーを”与える”というほうが
圧倒的に多かったように思います。
だから本当に疲れ果てました・・・笑い!
それほど、
愛される・・というのは、稀なことで
その徒労感の反動として
バービーのように
愛されていい気になっている女の姿には
むかついてしまう・・・・笑い!
はっきり言えば
人間の社会はお互いが相手のエネルギーを
奪いあう・・という社会で、
ゆえに、宗教や、神が存在する・・ともいえる。
このギブ&テイクが
うまくできている人は
バランスがよく
成熟できているが、
たいがいのヤツは
隙あらば奪おうと、無意識でかつ、
自動的にやる。
世の中の争いのほとんどは
その隠された動機として
愛されたい・・という願望や欲が
潜んでいます。
なおかつ自分の都合よく、
努力せずに得られたら・・というエゴも
張り付いて・・・。
以前も書きましたが
ものごとは半分半分で、
愛される裏には
支配される・・というリスクが
はりついています。
かみさまや仏様以外は
神々しい愛なんて
ありませんから・・。
その辺をなーんとなく感じていたり
解かっている芸人の芸は
深くて面白いけど、
残念ながら
フォーリンラブには欠けているように
見えます。
その辺、おなじうぬぼれでも、
狩野英孝のほうが
解かっている・・。
自分の人生を振り返ってみれば
愛情も
幸福もみーんな
自分を磨くことでしか手に入らず、
強いて言えば、
自分を磨くその道すがらが
生きることの
醍醐味かもしれませんねー・・。
ただ確実に言えることは
人間は、
人の海の中で
お互いがそのエキス(エネルギー)を貰いながらしか
生きれないこと。
それは
”愛している”ということばではなく
食べるものも、着るものも、
自分で生産する以外はすべて、
他の人間のエネルイギーから
産まれていること。
つまり
ほんとうは
多くの人々に支えられて(与えられて)
生きている。
だからあの
ひとりよがりの芸が
キライなのですねえ・・わたしは!
やっと
納得しました・・ジャン!
追
自分が愛されていない・・という自己憐憫に陥ったときは
甘えるんじゃないよ・・と
自分を
叱咤激励します