シャドーの世界! |
思い出したことがあるので書きます。
ユング心理学の中にシャドー(影)という
心のアーキータイプ(元型)があります。それは
自分が抑圧しているもう一人の自分で
特に優等生で従順で、いつもがまんをしている人の
裏側の攻撃的な影の人格です。
※シャドーについては、故河合隼雄さんの名著
『影の現象学』があり、是非一読をお勧めします。
以前私と姉妹のように仲良くしていた人がいます。
彼女は私に影のように付き添い、従い
まるで私の分身のように、わたしを受け入れてくれました。
それは
恐ろしいくらいにね・・!
あるとき二人で買い物に行きましたが
なんだか彼女が急によそよそしくなり
帰りの電車ではわざわざ私をよけるように
向こう側のシートにすわりました。
私は訳が分からず、
そのことを彼女に聞きましたら、
びっくりするような答えが返ってきました。
私が彼女を否定した・・というのです。
エーッと、モット詳しく問いただすと、
彼女が買いたい思ったブラウスを私が否定したというのです。
それは
私がいいなーと手にとったブラウスのことで
店員とのやり取りで、材質がポリエステルとわかり
いいやーと買わなかった・・そのことらしいんです。
彼女もそれが気に入り買おうとしたのに、
否定された・・というのです。
もし私が彼女に問いたださず、
なんか気をわるくさせたのかしら・・と
やり過ごしていたら、
私が彼女を否定した・・という加害者にされてしまう。
しかしねえ、
よく考えると、あれっと思うようなことはそれまで
何度もありました。
彼女は自分の両親に対しては、従順で、親孝行の良い娘を
演じており、
その裏には両親から抑圧された被害意識を山のように溜め込んで、
その母親を私に投影して、実は母親にできない仕返しを
私にしていたのです。
自分の母親と体型が似ていて、
なんとなく、性格も似ている私を
母親と同一の性格の人間と"思い込み”
金魚のウンチのごとく私の後をついてくるけど、
それと同時にわたしを否定したくてたまらず、
隙があったらエイと短刀でわたしを刺す・・。
そういえば彼女と会うとき何となく嫌な気がしたり、
別れた後、
私の気分が不安定になるようなことが
度々ありました。
巧妙に頭を使い、
相手に気づかれないように
ほのめかしたり、
さりげなく言葉のなかに毒を入れる
そういうことがとても上手でした。
シャドーの人は現実のフィールドで
対人的に向き合い、格闘スルということを
しません。
現実的にはとても良い子だったり、
ほとんど他人とかかわらなかったり
自分を閉じて仮面で人と対します。
現実的に人との軋轢がないため
その人間観は自分が溜め込んだ被害者意識の上にたてた
自分がそうだと思いこんだ観念的な人間像で、
それが現実の、現場フィールドで試行錯誤される機会が少ないため、
その思い込んだ・・・に違いない・・という認識が
なかなか書き換えられません。
ナマの人間に触れていくと
ああー自分はこういう風に思い込んでいたけど
実際はぜんぜん違っていた・・と
常に新しい情報で認識をかきかえられるけど、
いつも自分の思い込みの窓から人や社会を覗きます。
これがひどくなった場合は
自分の被害者意識ばかりが大きくふくらみ、
その人の人格をのっとってしまいます。
今回の事件がそうなのかは、
わかりません。
ただそのことから
シャドーのことを
思いだしたのです。
シャドーがワルイコトばかりかというと、
そうではありません。
人間の心のなかには、シャドーがつかさどる
心の痛さや、苦しさ、怒り、恨みなどの世界があるからこそ、
人間として、複雑な心模様や他人の悲しみが理解できます。
シャドー(闇)がいるからこそ、
光に向かって人が生きようとするのです。
逆にシャドーがないとぺらーっとした
なんだか軽薄な人間になります。
私は自分がシャドーに乗っ取られようとしたときに
シィッと
追い払います。
自分を憐れんだり、
自分が被害者になろうとしたりする時です。
いやいやものごとは
半分半分、
光も闇も半分半分
それでこそ
私という人間が
立体的に存在できる・・。
日々の感情のこういう
ギッコン、バッタンのシーソの上で
かろうじて
生きてるんだなーと
思います。