自分を貫く・・・。 |
いわゆる常識とか
ステレオタイプな考えを押しつけられると
閉口する。
日々生きながら
葛藤し考え検証している私としては
いちばん嫌なことが
そういう押しつけです。
母の葬式の時も
身内と深いかかわりのあった人たちとだけ
ハーモニカとヴァイオリンと私の歌とで
送り出したことを
まあーなんてステキな・・といってくれた人もいたが
お香典を返したことを根に持って
憤慨した私の友人もいた。
こういうとき
私は
断固私らしく行動するが、
周りの人間は
ハラハラするらしい・・。
しかし
ものごとは
徹底的にヤラナイと
意味がないのです。
信念をもってツラヌカないと
せっかく積み上げた自分と言うアイデンティティーが
ゆらいでしまいます。
自民党の菅選対副委員長の所でも
書きましたが
自分の中に
不安が生じ、意志がぐらつくと
ものごとはドンドン後退して
行きます。
お香典を返した友人の意見は
せっかく送ったのだから
受けとるくらいの度量があってしかるべきだと
言いました。
それに対して私は
亡くなった母の意志と
そして
それを悼む私の心のほうが優先する、
貴女は自分たちの対面の感情を
なぜ押しつける・・と
反論しました。
彼女は母を亡くした私のこころに
本当に同情を寄せているのでは
ありませんね、
自分の対面をつぶされたことに
腹をたてています。
もうひとり
お香典を返した親友がいますが
彼女は、よくわかるよ・・という文面と
私の大好きな故郷の味・・の雲丹の瓶詰めを
送ったから・・と返事をくれました。
涙がぽろぽろでました。
真剣に生きるということは
安易に妥協しないことだと
私は思います。
そういう形式でも世間体でもない
自分の形、というものを
はっきりと打ち出してゆくことが
やがて次の時代を生きる人たちの
踏み台になる・・と
思っています。
もし自分の生き方と
常識的な考えが
相容れないなら
そこで踏みとどまって
考える必要があります。
その常識とやらを
批判し、ことと次第により
ひっくり返す必要もあります。
自分が思いこんでいることは
はたして
妥当なのだろうか・・と
疑ってみる必要が
ありますね。
そういうことが
できるひとは
ほんとに
ステキだなーと
思います。
世の中は
ほとんどが
思い込まされていることだらけで
どれが
真実、
大切なのかは
きっかりと検証する必要があると
私は思います。