2009年 07月 30日
”自分の窓”を書き換える・・・。 |
先ほどブログの中で書いた
”自分の窓”のことを少しかきましょうか・・。
自分の窓、または自分が思いこまされた窓・・とも
いいましょうか。
人間はオぎゃーとうまれた瞬間から
この世のことを学び始めます。
学ぶにしても、始めは両親と家族からしか
データーを集めることができませんから、
まず、自分以外の人間との関係性を
その人たちとの関係の中から学びます。
だから両親や家族が穏やかで安定していれば
人間関係は穏やかで安定している・・と思い込みますが、
しょっちゅう小言を言う親や
感情の捌け口に子供を使う親や
子供にべったり張り付く親など、様々に
自分の弱さや、甘えやわがままを
こどもに見せつけている親の元では、
子供は、世のなかと言うものは・・ソウイウ人間関係なのだと
思い込んでしまいます。
そしてそういう親に対する処方箋を自分で編み出して
引篭もってみたり、
自分の心に鍵をして親の侵入を防いだり、
または自分をピエロにして
親が笑っている限り自分は安心と言う防
衛をしたり、また
親の願望どおりの優等生の仮面をつけ、
他では憂さを晴らしていじめたり・・と
様々にこの世の処世術を身につけ、
それが頭の中でだんだん固定観念として
定着していきます。
時にはそういう観念に乗っ取られて
こういうはずじゃあなかった・・と言うことを
しでかしてしまいます。
具体的例として
私の場合は
親に始終親に監視され、
また親にそむいたり、また親に嘘をついた時など
激高した父親に激しく折檻されましたから、
他人にはいつも心を拓き、
無防備で接するのが一番なのだと
思い込んでいました。
いつも正直に自分を晒す・・と言う風にです。
そのおかげで
私は他人の影響を受けやすく
また自分を防衛するすべを持っていませんでした。
しかし親と一緒に暮らしている間
つまり、そういう思い込みが
有効に働いている場合はイインデスが
広く社会にでて、
ざまざまなヒトと接し
多様な人間関係の中で生きなければならなくなると、
それまでの"自分の窓”だけでは対応できない世界にたいして
”自分の窓”はざまざまな形でブレーキとなります。
そのときフレキシブルに
自分の窓(固定観念)を書き換えていけばいいんですが、
問題は身体です。
身体のほうも乳児の頃から
周りの環境に適応するように身体を作り上げていきますから、
自分の意識と連動しながら安定をはかります。
自分意識が乱されず、心地よいときの
脈拍や体温や血圧や内臓のリズムなど
それらはいつも一定の運動リズムを維持しており
だから、意識は危機を感じて
なんとか自分を書き変えようとしても
身体は現状を維持したがり、
そこに抵抗感が起きてしまいます。
また古い脳(大脳の旧皮質に或る)感情も
変化を嫌がり
抵抗します。
誰でも慣れ親しんだ行動パターンが一番良いにきまってます。
だから自分を変える・・ということは
大変な事なのです。
しかし今まで自分を守ってくれた自分の窓は
今度は翻って人生のネックになり
限界を超えられないとか
そこから来る抑圧や障害
そして未知なことに対する恐怖や不安が
その人を縛ってしますから、
なんとか変えようとしても葛藤がおきあがきます、しかし
その
変えるチャンスが・・いわゆる"挫折”です。
深い"挫折”
立ち上がれないほど、打ちのめされる・・・ということこそ
絶好の自分が変わるチャンスなのです。
むかしなら、世のなか全体が貧しく
子供はひとりの稼ぎ手として
いやおうなく世の中にほおりだされました。
誰も守ってくれない厳しい世の中で
押し寄せてくる災難や挫折を辛抱しながら潜り抜けて
自分を書き換え、書き換え生き延びたと思います。
しかし現代は
様々に選択できる豊かな社会で、
また社会のそういう厳しい洗礼を受けるチャンスと言うより、
そのチャンスすら希薄で、子供は気の毒なくらいです。
また
親離れ子離れもママならない、中には
親が子供にべったりくっついて離そうとしないなど・・、
親そのものの幼児化現象がおきています。
子供はなかなかじぶんの問題に直面するチャンス、そして
自力で心身もろともに”解決”していくチャンスもなかか
少ないです。
そういうなかで
どうしたら”自分の窓”を書き換え
もっと自分の本当の実感にもとづいて
生きれるか。
あるいは、
幼児期に貰った親や家族の垢かを
すり落として
あたらしい認識と意欲で生きられるか・・。
そういうことをテーマにこのブログも書いてきました。
ほんらいなら、
心理うカウンセリングと言うことが
もっと巷間で気楽に受けられるということが理想ですが、
なかには、カウンセリングもどきの手法で
新興宗教や占いやオカルトやスピリチャルなど・・、
あのオーム真理教のようなケースも起きてしまいましたね。
自分が何かに依存するのではなく、
自分の中の一番"芯”のところにある
本当の自分の声・・に耳を傾ける。そして
私は人間は科学だと思っています。
つまりいままでは
心理のことと脳科学や生物学や物理学や哲学など・・・縦割りであった
学問と検証の場が
今は
人間を解明するために
交流、統合、そして矛盾の止揚などに
力をあわせるようになりました。
またこれは日本の誇りですが、
日本の偉大な漫画のなかでは
学校では教えないたくさんの高度な知識を
漫画家たちが追求し、展開してくれましたから、
そのような高度の知識と認識・・そして
自己追求力を駆使して
”自分の窓”を書き換えながら拓いくことも漫画やアニメで
きっと追求されると思います。
してほしいと願っています
そのとき、
からだが抵抗している・・そのことは
どう解決していくか・・・?
そのことはこれからの課題として
臨床の場でも研究されるとおもいますが、
私の場合は
わたしの未熟な親のエゴを子供に渡してしまいましたから
彼らの脳にこびりついた、彼らの心理を支配する私のイメージを
消すために、
私に対する怖れや怒りを思い出してもらい
その強烈な母のイメージを
棒でたたき潰してもらいました。
具体的には、
深く集中し、自分の心理奥にある私(親)のイメージを
思い出してもらい、
そのイメージが消えるまで新聞紙を丸めた棒で
叩いてもらいました。
頭だけでなく
全身全霊の神経を使ってイメージの私と戦ってもらい
つまり
身体を使いながら渾身の力を込めて叩く・・・!
この
体を使うということが大切なのです。
つまり
親としてのわたしを心身を使いながら力で
力関係をひっくり返し
そのとき
子供本来の力が蘇えっていきます。
子供の心を支配する私のイメージを
退治し全否定し
その代わりに子ども自身の生命力が
沸き起こってくる・・・。
これでわたしも成仏できます・・・笑い!
これには専門的な心理カウンセラーの誘導が必要です。
まあそういうことが
困難な場合でも
なにかに直面し悩んだとき
自分のこれまでの思いを
固定観念として・・洗いなおす作業をする
これだけでも違ってきます。
そしてこれは緩やかな変化の作業としてお勧めしますが
自分の意識を洗い直し整理し
私は毎朝ノートに自分のよけいな垢のことを
書きます。
例えば
今日朝は
「神様 私の中の苛立ちを取り除いてください」と言う風に・・。
この神様は
宗教的な神ではありません。
私と言う小さな存在を超えた大きなちから
人間の思いだけではどうにもならない
大きな力・・と言う意味でわたしは”神"と書きます。
ノートに書くとその日いちにちそういう自己暗示がきいて
楽になりますし、
知らないうちに自分の抑制が効いてきます。
以上ほんとに簡単ですが
ざーっと書きました。
まあ
なにかのお役に立てればいいかなーと
思います。
明日は又軽井沢行きで
ブログをお休みしますので
きょうは
二本
ブログを書きました。
”自分の窓”のことを少しかきましょうか・・。
自分の窓、または自分が思いこまされた窓・・とも
いいましょうか。
人間はオぎゃーとうまれた瞬間から
この世のことを学び始めます。
学ぶにしても、始めは両親と家族からしか
データーを集めることができませんから、
まず、自分以外の人間との関係性を
その人たちとの関係の中から学びます。
だから両親や家族が穏やかで安定していれば
人間関係は穏やかで安定している・・と思い込みますが、
しょっちゅう小言を言う親や
感情の捌け口に子供を使う親や
子供にべったり張り付く親など、様々に
自分の弱さや、甘えやわがままを
こどもに見せつけている親の元では、
子供は、世のなかと言うものは・・ソウイウ人間関係なのだと
思い込んでしまいます。
そしてそういう親に対する処方箋を自分で編み出して
引篭もってみたり、
自分の心に鍵をして親の侵入を防いだり、
または自分をピエロにして
親が笑っている限り自分は安心と言う防
衛をしたり、また
親の願望どおりの優等生の仮面をつけ、
他では憂さを晴らしていじめたり・・と
様々にこの世の処世術を身につけ、
それが頭の中でだんだん固定観念として
定着していきます。
時にはそういう観念に乗っ取られて
こういうはずじゃあなかった・・と言うことを
しでかしてしまいます。
具体的例として
私の場合は
親に始終親に監視され、
また親にそむいたり、また親に嘘をついた時など
激高した父親に激しく折檻されましたから、
他人にはいつも心を拓き、
無防備で接するのが一番なのだと
思い込んでいました。
いつも正直に自分を晒す・・と言う風にです。
そのおかげで
私は他人の影響を受けやすく
また自分を防衛するすべを持っていませんでした。
しかし親と一緒に暮らしている間
つまり、そういう思い込みが
有効に働いている場合はイインデスが
広く社会にでて、
ざまざまなヒトと接し
多様な人間関係の中で生きなければならなくなると、
それまでの"自分の窓”だけでは対応できない世界にたいして
”自分の窓”はざまざまな形でブレーキとなります。
そのときフレキシブルに
自分の窓(固定観念)を書き換えていけばいいんですが、
問題は身体です。
身体のほうも乳児の頃から
周りの環境に適応するように身体を作り上げていきますから、
自分の意識と連動しながら安定をはかります。
自分意識が乱されず、心地よいときの
脈拍や体温や血圧や内臓のリズムなど
それらはいつも一定の運動リズムを維持しており
だから、意識は危機を感じて
なんとか自分を書き変えようとしても
身体は現状を維持したがり、
そこに抵抗感が起きてしまいます。
また古い脳(大脳の旧皮質に或る)感情も
変化を嫌がり
抵抗します。
誰でも慣れ親しんだ行動パターンが一番良いにきまってます。
だから自分を変える・・ということは
大変な事なのです。
しかし今まで自分を守ってくれた自分の窓は
今度は翻って人生のネックになり
限界を超えられないとか
そこから来る抑圧や障害
そして未知なことに対する恐怖や不安が
その人を縛ってしますから、
なんとか変えようとしても葛藤がおきあがきます、しかし
その
変えるチャンスが・・いわゆる"挫折”です。
深い"挫折”
立ち上がれないほど、打ちのめされる・・・ということこそ
絶好の自分が変わるチャンスなのです。
むかしなら、世のなか全体が貧しく
子供はひとりの稼ぎ手として
いやおうなく世の中にほおりだされました。
誰も守ってくれない厳しい世の中で
押し寄せてくる災難や挫折を辛抱しながら潜り抜けて
自分を書き換え、書き換え生き延びたと思います。
しかし現代は
様々に選択できる豊かな社会で、
また社会のそういう厳しい洗礼を受けるチャンスと言うより、
そのチャンスすら希薄で、子供は気の毒なくらいです。
また
親離れ子離れもママならない、中には
親が子供にべったりくっついて離そうとしないなど・・、
親そのものの幼児化現象がおきています。
子供はなかなかじぶんの問題に直面するチャンス、そして
自力で心身もろともに”解決”していくチャンスもなかか
少ないです。
そういうなかで
どうしたら”自分の窓”を書き換え
もっと自分の本当の実感にもとづいて
生きれるか。
あるいは、
幼児期に貰った親や家族の垢かを
すり落として
あたらしい認識と意欲で生きられるか・・。
そういうことをテーマにこのブログも書いてきました。
ほんらいなら、
心理うカウンセリングと言うことが
もっと巷間で気楽に受けられるということが理想ですが、
なかには、カウンセリングもどきの手法で
新興宗教や占いやオカルトやスピリチャルなど・・、
あのオーム真理教のようなケースも起きてしまいましたね。
自分が何かに依存するのではなく、
自分の中の一番"芯”のところにある
本当の自分の声・・に耳を傾ける。そして
私は人間は科学だと思っています。
つまりいままでは
心理のことと脳科学や生物学や物理学や哲学など・・・縦割りであった
学問と検証の場が
今は
人間を解明するために
交流、統合、そして矛盾の止揚などに
力をあわせるようになりました。
またこれは日本の誇りですが、
日本の偉大な漫画のなかでは
学校では教えないたくさんの高度な知識を
漫画家たちが追求し、展開してくれましたから、
そのような高度の知識と認識・・そして
自己追求力を駆使して
”自分の窓”を書き換えながら拓いくことも漫画やアニメで
きっと追求されると思います。
してほしいと願っています
そのとき、
からだが抵抗している・・そのことは
どう解決していくか・・・?
そのことはこれからの課題として
臨床の場でも研究されるとおもいますが、
私の場合は
わたしの未熟な親のエゴを子供に渡してしまいましたから
彼らの脳にこびりついた、彼らの心理を支配する私のイメージを
消すために、
私に対する怖れや怒りを思い出してもらい
その強烈な母のイメージを
棒でたたき潰してもらいました。
具体的には、
深く集中し、自分の心理奥にある私(親)のイメージを
思い出してもらい、
そのイメージが消えるまで新聞紙を丸めた棒で
叩いてもらいました。
頭だけでなく
全身全霊の神経を使ってイメージの私と戦ってもらい
つまり
身体を使いながら渾身の力を込めて叩く・・・!
この
体を使うということが大切なのです。
つまり
親としてのわたしを心身を使いながら力で
力関係をひっくり返し
そのとき
子供本来の力が蘇えっていきます。
子供の心を支配する私のイメージを
退治し全否定し
その代わりに子ども自身の生命力が
沸き起こってくる・・・。
これでわたしも成仏できます・・・笑い!
これには専門的な心理カウンセラーの誘導が必要です。
まあそういうことが
困難な場合でも
なにかに直面し悩んだとき
自分のこれまでの思いを
固定観念として・・洗いなおす作業をする
これだけでも違ってきます。
そしてこれは緩やかな変化の作業としてお勧めしますが
自分の意識を洗い直し整理し
私は毎朝ノートに自分のよけいな垢のことを
書きます。
例えば
今日朝は
「神様 私の中の苛立ちを取り除いてください」と言う風に・・。
この神様は
宗教的な神ではありません。
私と言う小さな存在を超えた大きなちから
人間の思いだけではどうにもならない
大きな力・・と言う意味でわたしは”神"と書きます。
ノートに書くとその日いちにちそういう自己暗示がきいて
楽になりますし、
知らないうちに自分の抑制が効いてきます。
以上ほんとに簡単ですが
ざーっと書きました。
まあ
なにかのお役に立てればいいかなーと
思います。
明日は又軽井沢行きで
ブログをお休みしますので
きょうは
二本
ブログを書きました。
by denshinbashira
| 2009-07-30 10:22
|
Comments(2)
わたしにとって、すばらしいブログに出会いました。これから生きていく、ささえ(遅いかも)にしたいです。ゆっくり全部よませていただきます。
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あんずさま、お役にたてて光栄です!

