否定せず・・・・。 |
偶然NHKテレビが
マイケルジャクソンのことをやっていて、
スリラー・バッド・デンジャロスの三本を
ノーカットでみた。
なんとなく
マイケルが、人間社会に言いたいことが
わかってきた・・・が
それを言葉にすると
なんだか貧弱なことしかつたえられない・・と思い、
塊のまま
胸に入れておくことにした。
まあ、しいていえば、
人間への抗議の懇願・・・かなー・・。
今日、書こうとおもっていたことは、
もしかしたら、
晩年のマイケルの潜在的な秘密の世界に
重なる・・事かもしれない・・そのことも
思い、
頭の中を霧のように
スリラーのマイケルがかすめていく。
私自身が、物凄い否定的な人間である・・と
気づいたのはもう、
30歳を越えてからのことです。
まず対人的に、他人を否定したい衝動が
身体を突き上げてくる。
他人の話やその内容を否定したくて
たまらなくなる。
町を歩いていても、
スーパーでレジを待っているときも
友達と遊んでいるときも
体の中に拒否感が湧き起ってきて
いました。
自分の否定的な存在のありように気づいてからは
意識的に、否定しないように・・と
気をつけましたが、それは
用心深く自分をコントロールする・・という操作が必要でした。
なぜ、自分がそうなのかは、
カウンセリング理論を勉強する中で
解けてきましたが、
体のなかに染み付いた、否定的な快感と言うか
否定したとたんに、胸がすっとする・・という
体の快感は
否定しないで受け入れる・・と言うことにくらべたら、
はるかに心地よく、
それを抑制し、じっと相手の話や行動を受け入れている自分は
肩や首や背中に力が入りコリコリになってしまいます。
私は幼児期から思春期まで
父親の暴力も含めた心理支配下にいましたから、
私が否定的になるのは"当然”の帰結です。
すーっと自分が受け入れられる・・なんて体験が
ほとんどないんですから、
いつもいつも、私の前には
大きな岩のような障害があり、
スンなりと
他人とコミュニケーションする・・なんてことは
ありえない・・と思っていました。
いつも
他人と話すときは
否定されないように・・と警戒しながら・・・・で。
全否定されっぱなしの私が相手を、
全人間を、
全否定したくなるのは
道理でしょう・・・。
でも
やはり
否定は
だめですね・・。
ちっとも
なにも
実りませんから・・。
否定すればするほど
闇や孤独が深くなり、
ドンどん深い井戸のなかに
堕ちていくしかない・・・。
でもねえ、自分の体の衝動と
意識の落差で苦しみながら、
晩年のマイケルジャクソンのスキャンダルが
ほんとうなのか、でっち上げなのか・・わかりませんが、
私にはなんとなく
彼の気持ちがわかるような気がします。
きっとマイケルも頭の中では
道理を理解し、
ほんとうに平和や世界の子供達の幸せを
願っていたと思います。
しかし
彼のからだはどうだったのか・・と
私は思うのです。
身体に染み付いた虐待の傷の痛みは
どうだったのかなあー・・・。
今でも私は他人を否定したくなります。
62歳をこえても体の中のその衝動は
消えません。
だから
朝の祈りで毎日のように
「今日もまた、
私の中の、否定的な感情を取り除いてください。」と
祈ります。
でもむかしに比べたら
格段に肯定的になりましたよ。
脳の構造から言うと
私達は
意識的に
自分の思いや感情をコントロールして
変えていくしかないのです。
一昨日書いたように
体の中に書き込まれた
反応のパターンを時間をかけて
コツコツと書き換えるしかありません。
あきらめずに、
また、
決して自分を卑下せず、
責めず・・ね。
だれもが
”否定”する・・ということが
必要なくなる世の中が来ると
良いですね。
それこそ
進化しながら到達して欲しいです。
”スリラー”や”バッド”を歌いながら踊るマイケルの目は
ほんとうに
自分の苦しみが
解放されるのを
懇願しているチャイルドが、
全身を踊りで晒しながら
嵐のように強く激しく
溢れるように
否定しないこと
懇願しているような
気がしました・・・・・。