感情を客体化する・・ピカソとマティス! |
初めてピカソのゲルニカを見たとき、
その黒い攻撃的な怒りに満ちた絵が
グロテスクな中にも気品が或ると感じた。
今朝、朝食時のほんの十分くらいの間に
父ちゃんに話した、
ピカソとマティスの話が
自分ながら面白いと思ったので、
皆さんにも紹介します・・でもこれは
ほんとうに私の独断と偏見にみちた話だということで
読んでください。
事の始まりは、仕事に挫折した人が
どれだけ自分を変えられるか・・と言う話から始まって、
総括しなければならないことはたくさんあるが、
私は一番やらなければならないことは、
”自分の感情の客体化”だと言いました。
そのとき頭に浮かんだのが、マティスとピカソで、
多くの芸術家のうちで、マティスは85歳、ピカソは
92歳まで生きました。
この二人はとてもなかよしで、お互いを尊敬しあい、
ピカソはマティスの絵を10枚くらい持っており、
それは彼の死後ピカソ美術館に寄贈されています。
マティスは画家になる前は法律家を目指し、
法律事務所で働いていましたから、
頭は明晰でとても冷静だったのでは・・と
思います。
最初はフォービズムでしたが、それも3年でやめ、
理知的な落ち着いて透明感の或る色彩の絵を描いています。
フォービズム・・と言うのは野獣派といわれるように
感情やエネルギーの激しい放出を原色に近い色彩で
モチーフが奔放に描かれています。
ピカソの絵の方がその根底において
フォービズムに近い激しい攻撃性を持っていると思います。
マティスが3年でフォービズムから転向したこのとき
私はマティスの中にもしかしたら
感情の客体化があったかもしれないと思います。
ピカソの方は有名ですね、写実的な絵から入り
有名な「青の時代」を経てバラの時代、アフリカ彫刻の時代
キュビズムの時代、シュールリアリズムの時代
そしてゲルニカの時代・・そして晩年の幼児の絵のような・・・時代
へと変遷していきます。
猫の目のようにその画風が変わりますが、
私はそのたびに、ピカソのなかにぎゅうぎゅう詰め込まれていた
感情の群れがひとつずつ客体化されていったのではないかと
思っています。
それくらいピカソの中は
豊穣なアリトアラユル感情が渦巻き、
欲望も渦まき、
収拾不能のような状態で生きていたのではないかと
思います。
そのため、ピカソ自身の素行の悪さ、女グセの悪さ
身内の人間がみんな不幸になっていく、さらに
関係した大切な女性達二人が自殺してしまいます。
それでも作品に向かったときのピカソが
まるで合わせ鏡のように自分の感情をそこ
客体化して深い物語やメッセージに描きあげていきます。
自分の感情に呑み込まれ、
取り込まれてしまうと
こういう風には描けません。
日常でさえ激情がたであったピカソも
どこか
冷めて自分を突き放して、
作品と格闘していた・・と
私は思います。
マティスとピカソ、
二人はお互いの中にあるもの、
自分にはないものを認め合い
だからピカソはマティスの絵を買ったのかなーと思います。
マティスの絵もだんだんアダルトから解放されて
幼児のような自由で楽しく、奔放な絵になっていきます。
晩年は紙絵に懲りだして、
私はメトロポリタン美術館で開催されたときの
紙絵「千夜一夜物語」のポスターを
初めて自分のコレクションとして買いました・・若き日に。
単純な美しい原色の色彩とフォルムが
リズム感にあふれ
あのアラビアの千や一夜の物語りの言葉を
鼻歌でも歌いながら描いたのでは・・と
私は想像します。
今でもそれを持っています。
自分と言う人間の大きなファクターでありながら、
それに苦しめられ、束縛されてしまう”感情”というものを
少しずつ客体化しながら
自分を縛っている紐をとき
最後は二人とも
少年のような初々しさで
死んでいった・・。
そういう風に私は思っています。
挫折や
なにか
困難なことに出会ったとき
自分を
切りひらいて
”感情の客体化”ができるか
あるいは、変わるという意志をもって
取り組むか、
或いは
現状を維持し
自分を守ることで
変わらないか・・ということは
大きな人生の分岐の選択になると思います。
私はこの二人の長命こそ
その成功者だと
今も
尊敬しています。
それにしても
ゲルニカは
パワーに溢れ
美しかったです。