我々は何処へいくのか・・・! |
感情を客体化できなかった二人の芸術家として
ゴッホとゴーギャンを書こうとおもい、
ゴッホの絵を年代順にみて、
最後のほうのアルルの時代、サンレミの時代、オーヴェールの時代
を見ているうちに
気持ちが落ち込んで不安定になって
しまった。
それに比べ初期のハーグの時代の絵は素晴らしいです。
悲しみや絶望が漂うけど、
まだ追いつめられていないゴッホがいる。
モチーフとの間にまだ牧歌的な詩情や心の余裕が感じられ
私は好きですねえ・・。
でもヌエーネン、パリとだんだん緊張感が漂い
サンレミになると
精神が病んでいくのがわかる。
ゴッホの誘いでアルルに来たゴーギャンはどうかと言うと
ゴーギャンもたくさん描いている人物の顔がほとんど泥土のような感じで
砦のような表情をしており
柔和さや肌の奥の血管の温度やメッセージが
遮断されている感じがする。
この二人が一緒に暮らすと
どうなるのか・・・・容易にさっしがつく。
愚直で感情的で、メシア症候群的妄想を持つゴッホと
生活の辛酸をなめ、相場師として
世の中の裏表を味わいつくしているゴーギャンが
うまくいくはずがない・・。
体中が感情のかたまりのようなゴッホは
冷静で、現実的なゴーギャンからどんな風に
見えたのだろう。
私が若い頃に読んだ本では
ゴーギャンが描いた「ゴッホが制作している絵」を見て
ゴッホがひどく怒った・・と言うようなことが
描いてあったが、
人間に対してかなり心を閉ざしているような感じがする
ゴーギャンは、
感情がエレベーターのように起伏するゴッホの狂気に
ついていけなかったかもしれない。
もしかしたら、単純で少しウザイゴッホに対して
ゴーギャンは少しイジワルだったかも
しれないなー・・・。
それに二人ともが
支配欲が(征服欲)
強いです。
ゴッホの原始的なというか、
洗練されてない生々しい感情は
むき出しの悲しみや、喜びで
画面いっぱいにあふれるそれらは
叙情的で、見るもののこころにドンドン感情の共感を生む。
特に、日本人は感情が洗練されていないから
わたしも含めてゴッホが好きな人が多い。
しかし心の錯乱までは行かなかったとしても
ゴーギャンもかなり心を病んでおり
逆に感情を拓くことができないでいる。
ゴッホは牧師の息子で、
ゴーギャンは神学生だったこともアリ、
心の奥のほうに絶えず神に問い続ける自我があり、
その意味でも
荒れ狂う野獣のような感情を発したあと自己嫌悪になり
赦すことができないゴッホ、逆に
感情を封じ込めていなかればならない・・という
ゴーギャンの冷徹な縛りなど
自分の中の感情を客体化し
それを検証して、自分を再構築する・・という作業を
しそこなったのでは・・・とわたしは思っている。
タヒチにわたッたゴーギャンが自殺を試みる前に
描きあげた「われわれはどこからきたのか、われわれはなにものか
われわれはどこへいくのか」と言う題の絵は
冷徹な中にも、
自分と言う暗渠の中から抜け出せない
ゴーギャンの迷いや苦しみを感じる。
今日ゴッホの絵を見ながら
私自身の中にある
脅迫神経や不安神経が連動して、
あっという間にエネルギーを奪われてしまった。
こういう世界を
ゴッホは頑張りながら生き続けたのだなあー・・と
熱いものが浮かんできた。
自分の中に荒れ狂う感情の起伏にゴッホは翻弄されながらも
描き続けた絵は
彼との一体感で充ちている、いや、彼そのもので
その絵の中に吸収されるように自らの命を断った。
モット悲しいことは
彼を支え続けた弟の”テオ”も彼を看取ったあと二ヵ月後に
錯乱をおこし、翌年死んでしまう。
まさに共依存だった兄弟です。
ゴッホも自、他の分離ができていなかったねえ。
だからことごとく他人との関係で失敗した。
ゴーギャンも自分を追い詰め、自分を検閲し
自我の虚無を文明のせいにしてそこから逃げる如く
タヒチのもっと奥の島へと
流れていき、そこで失意のうちに死んでしまう。
ゴーギャンの最後の作品のすみには、
ゴーギャンらしい人物が悪魔のような様子で描かれており
最後まで
自分を赦すことが出来なかったのかなー・・と
思う。
『われわれはどこからきたのか、
われわれはなにものか、
われわれはどこへいくのか』というゴーギャンの問いかけから
120年余り過ぎて今その問いかけにたいして
どう答えるか・・・。
『時間は過去から未来へと流れているのではなく、
未来から過去へ流れているのですよ!』
私ならこう答える。
そして
いつも自分を赦し
じぶんの犯した過ちをゆるし
他人を赦し
時の流れに逆らわず
ほとんど忘れて
楽天的に生きましょう・・今の瞬間を!・・と。
自己肯定と自己否定という循環の中で苦しみ続けた
二人の芸術家
いつの時代も
人間は、自分をもてあましながら生きているのですね・・・。
でも
少なくとも私達はこの先人の痛みを超え
その先を
生きねば・・と思います。
幸せに充実してね
生きようね。