人は何処からきて、何処へ行くのか・・・。 |
『われわれはどこからきたのか、
われわれはなにものか、
われわれはどこへいくのか』というゴーギャンの問いかけを
私なりに解析すると
・自分と言うものの実感がなく、
常に自分があるべき姿と、現実の自分の姿の落差を
受け入れられない・・・自分がある。
・ゴッホが感情のエレベーターを
あがったり下がったりしているのと同じ様に
ゴーギャンは観念のエレベーターの上下運動をしているように
見える。
・ともに、
「そのまんまでいいよ!」という親からの、或いは
神様からのOKが出ておらず、
思い込んでしまった
自分のほんとうのすがた?
を求めて彷徨っている。
同じようなことは宮沢賢治の『銀河鉄道の旅』で
ジョバンニが持っていた、
・ほんとうの天上いきの切符で、
何処でも勝手に歩ける=オールマイティ・・の切符があり
それを思い出した。
ゴッホやゴーギャンが生きた時代はまだまだ
神の神秘が通用し、
人間がたくさんの負荷を背負っていた時代だから
仕方アリマセンが、
ほんとうに何処でもいけて
自由な切符を手にするために、
少なくとも私達は
自分が思い込んでいる妄想や
自分が抱え込んでしまった負の感情を
生きるエネルギーにブレーキをかけるような
それらを、
洗い直し、
たまたま貰ったこの命を
元気にいきいきとまっとうできるような
"進化”をしましょう・・!
昨日広島で「核武装しろ・・」と公演した人がいるそうだが
そんな必要はありません。
みんな人間は一生懸命”生きたがっている”
そんな簡単なことではない、
或るは
そんな綺麗ごとではない・・と
言われるかもしれないが
人間はお互いに仲良く生きたい・・と
思っている・・と
私は思います。
お互いが武装することより、
心の中にはびこる不安やおびえを
どうしたら消すことができのるのか、
攻撃するこころや
支配慾や征服欲の裏にある動機の解明や
所有欲、物欲の裏の或にある深層の心理を解明し
なぜ人間は
自分を武装するのか・・ということの解明をする・・・。
前にも書きましたが
人間の中には自分以外を否定するプログラムと同時に
他人と共存したいというプログラムがあります。
どちらも生命を保全するためのものです。
だから
自分が否定的な傾向を持つ人間でも…いいんです。
ただそれを
野放しにしないことです。
そして自分が共存しようと
他人の顔色を伺い自己主張できなくても・・・いいんです。
でも、一人でも生きれるように
依存をすてて強くなりましょう。
核のことだって、
核武装する前に
お隣の北朝鮮の核に怯えるより
北朝鮮を救うためにはどうしたらいいか・・を
日本がプロジェクトし
朝鮮の悲惨な民衆を救うことを考えられるといいですね・・。
これは私のささやかな願いです。
拉致の問題も
二年くらい前に拉致被害者の方々に献金をしたいと思い
テレビで見た
国会前に座り込んでいる被害者の会のところへ
一人で行きましたが、
なんだか訳のわからない攻撃的な表情の人たちが
大勢いて鉢巻をゼッケンをつけた人が
マイクでがなりたてていて
普通の人は近づけない雰囲気でした。
まるで労働争議のような雰囲気でした。
とりあえず献金したい・・とそこら辺にいる人に言ったら
この人に渡してください・・といわれて
献金したのですが、
今から考えると、ちゃんと被害者の所にお金が行ったかナーと
思います。
なにか変なかんじがしましたよ、
本筋から外れてしまっているような・・?
まあ話がだいぶんそれてしまいましたが、
世界中の
多くの優秀な人々によって
人間の内面がより解明され
どの人も
どのひとも
せっかく与えられた人生を
知恵をもって変革しながら
存分にたのしくいきれる時代がくるように
祈ります。
最後に
人は何処からきて、何処へ行くのか・・・。
難しい命題ですが、
自分と言う人間のデーターが集約されて自我の核となり
その核はその人間の幸福をめざして
大いなる自分の未知を行くのだと
思います。
そのために
我々は”私”という現象で
(あまりにも簡単にいいきってすみません)
”今”或いは"今日”と言う現実を
精一杯いきることだと
思います。