姿を活ける・・・! |
日本の花屋で修行し、
その才能を発揮して、
ついには母国スウェーデンの名器
ロイヤルコペンハーゲン本店のディスプレイを
請け負うと同時に、
同店内にお店を開くことになった・・・という
ドキュメンタリーを見た。
その青年の努力や才能が開花し
素晴らしいことは
申すまで間でもないのだが、
彼の
”花"と言うものに対する感性と
”花を活ける"という感性も
随分私達日本人とはちがうなあ・・・と
思った。
彼らの作品は大量な花を
鮮やかな色で組合わせていく。
それはパワーフルで
また花の色とフォルムを
絶妙にアレンジ
時にオブジェとしてダイナミックである。
また彼のオリジナル作品は
四角い箱にオアシスをいれ
箱いっぱいにな花のみを摘み
ぎっしり詰めていく。
まあちょっと
私の思い込みかもしれないが、
要するに
”花”が主役で
葉っぱや茎や枝は
それほど用いられていない。
まあ
感覚としてはデザインかなーとも
思います。
それに比べ、日本人のいけばなの感覚は
花だけでなく
葉っぱや茎や枝をすべて含めて
いわゆる
花の”姿”を活ける。
そして
その”姿”は空間を切り、
空間を征したもので
周囲の景色を背景にしながらも
孤高や可憐やそして侘びなどの精神性を帯びる。
花そのものの強烈な個性ではなく
空間と時間を包括しながら
花が活けられていくのある。
いわゆる”道”ですかねえ・・。
それは2年前京都でみた周囲の木立の風景の中で
葦のように佇む銀閣寺の美しさに通じる。
銀閣寺そのものは
粗末な建物だが
それを小高い丘から見たとき
えもいわれぬ、美しいシルエットとなり、
空間を征していた。
思わず「無欲で美しい」とつぶやいてしまった。
私たち日本人のこの美意識、感性を
大切にしたいなあ・・。
なんでもかんでも
西洋色に塗り替えらるのは
嫌だなあー・・・と思う。
四畳半とか六畳とか
慎ましい部屋のなかで
守られるように活けられる花!
分をわきまえ、
争いをきらい、
謙譲の美をもつ私達日本人の美意識!
でも
いつの間にか
西洋のように
荒々しく競争や戦うことを是として
いないか・・。
全体性を刻み
細分化することに
意義を申さなくなっていないか・・・!
細分化し論理的な西洋の父性系社会に比べ日本は
丸ごと包括する母系性社会だと
亡くなられた河合隼雄さんの書かれたものを
読んだと記憶する。
まあ
そんなに小難しく論じなくても、
日本のあの感性を
現代アートの美に結びつけることはないかなーと
ひそかに考えを練っています。
なにか
ひらめかないかなー・・と
かんがえています。