6章 仕事に夢をもとめない・・・? |
これから書くことは、
62歳のオバアーの書いたものとして
読んでください。
幻想をもっている若者には、キツすぎるかもなあ・・・。
私自身の今までの人生を見渡してみると、
ほとんどが、
幼児時代に書いた人間の青図を
いかに書き直していくかという作業の連続であった
気がする。
現実にぶち当たりながら
満身傷だらけになりながら、
自分の思いこんだ世界を書き直しては進み、
進みながらつけ足し
今も
自分のグランドデザインを書直し続けている。
何度も地べたに打ち付けられその
泥水を呑んだことか・・・。
人間の世界の実相が徐々にわかって来るにつれ
それが自分の夢見た世界といかに違う光景かを
思い知らされた。
また心理カウンセリングや脳科学をはじめ
様々なる世界を知るにつれ、
自分の経験や体験と照らし合わせても
人間というものが
いかに個絶している存在か・・ということの最後通牒を
突きつけられ
厳粛な原図を見せられたように
思います。
そういう事実の前に、、
他者と交換する愛情や信頼や支えということが
いかにも壊れやすく幻想であること、
自分と言う人間を他者から認知されるということが
いかに難しく、
それどころか、人間は
一人一人が自分の世界を維持するだけで精一杯であり
利己的に生きているそのほんののささやかな余白を
他人のためにまわすのが
せいぜいある。
人間はうまれ落ちた瞬間から
全くの自己のみの世界を生きており
自分の身に降りかかってくる様々な事象が
他者や社会の共有する通念であるかのように
錯覚して生きている。
そういうことを踏まえながら
この数年間は
私自身の人間観の甘い幻想が
現実の空間で
ドンドン剥がれ落ちてゆき
半ば孤立と絶望のような精神性の中で
心が枯野のようになり
それを抱えて
フラフラと生きていたように
思います。
しかし、
それでも私は毎日、朝の目覚めから始まる
一日をどうにか、こうにか生ききっており
朝、まだ明け切れない薄闇のなかを
不安によろけながら、
トロトロと走り、
走りながら不安を息とともに吐き出して
自分を立て直す・・。
そしてその日
いちにちを
なんとか生き切る。
同様に
すべての人間が、
そういう風に幻想の落下を自覚しないまでも
その幻想のゆらぎの中で、悩み、格闘し、
日々をやりすごして生きている。
きつと
意識する、意識しないにかかわらず
人間は
そういう風に生きている・・と
私は思うことで
姿の見えない、かず多くの同胞に
連帯しながら
自分を生かしている。
安易な幻想が剥がれおちた今
最後の自己確認として
・社会や他人に幻想を持たない。
・他人に依存しない。
コレは厳密にいうと、
他人に”心理依存”しない・・ということで
物質に関してはお互いの依存でこの世は成立していますから・・。
他者に愛情や保護を求めないと言うことです。
・直面する現実の問題の個人的なものに関しては
自分ひとりで解決する。
こうしてみると人間はほんとうに荒涼とした原野に
一人で立っている・・とう観が正直なトコロです。でも
今の私は
そういう人間の孤立や絶望をはっきり認識した上で
最後まで生きる・・ということをやりとげようと
思っています。
それはどの先人達も超えていった道でしょう・・・。
さて
今日の命題
仕事に夢をもとめない・・について、
オバアから若者へ
いいじゃないですか、
大いに夢をお持ちなさいよ!
しかしその夢を実体化していくには
たくさんの努力が必要で挫折は何度もあるでしょう・・。
幻想が壊れる暴風雨が襲ってくるでしょう・・。
でもね
人間は未来を仮想しながらしか生きれない。
そして、ビジョンが打ち砕かれても
次々と壊れるビジョンを書き直し書き直しながらも
人間は
無意識に自分の欲するところ辿りつこうとするもんです。
まず、自分の青図がなきゃー・・ねぇ・・。
生きてみなきゃーわからない!
生きるためには働かなければならない。
断っておきますけど、人間は目が開いているあいだは
何かをしていないと退屈します。
その何か・・の中で働くことは
いいことも嫌なことも含めて、
最高な手段だと思いますよ・・。
要は自分次第です。
働くためには
夢やビジョンがないと
エネルギーがでないでしょう・・!
大切なのは"夢”じゃなくて
夢を実体化していくその道すがらにね、
たくさんの”ほんとうのこと”が落ちていると
思いますよ。
その”ほんとうのこと”とは
思い込まされた幻想ではなく、
自分にとっての
”ほんとうのこと”だと
私は思います。